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天地人 第32話「世継ぎの運命(さだめ)」

 旅行をしていたため、エントリーが遅くなってしまいました。

 文禄2年(1593年)、太閤秀吉の新たな実子が誕生する。名を拾(ひろい)、後の豊臣秀頼である。秀頼自身、後に数奇な運命をたどることになるのだが、彼が生まれたことによって運命が大きく変わってしまった二人の人物。秀吉より関白の座を譲り受けた豊臣秀次と、幼いころより秀吉の養子として育った豊臣秀俊、後の小早川秀秋である。

 今回は小早川秀秋について。北政所の実兄・木下家定の五男として生を受けた彼は、天正13年(1585年)かぞえ4歳のときに秀吉の養子となる。その後病死した秀吉の実弟・秀勝の領地・丹波亀山10万石を与えられ、秀頼が誕生する1年前には従三位・権中納言の位も与えられた。しかし今話でもあったとおり、秀頼が誕生した1年後の文禄2年(1594年)、秀吉の命にて小早川隆景の養子として小早川家に入ることとなる。そして紆余曲折があった後、あの慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて、キャスティングボートを握ることとなるのである。

 この小早川秀秋という人物。歴史小説やドラマなどでは愚鈍に描かれることが多い。優柔不断な性格で信頼できる家臣もおらず、戸惑ってばかりの印象が強い。しかし本当のところはどうだったのだろう。関ヶ原の戦い以前には、朝鮮の役や蔚山城の戦いなどで数々の武功も上げている。彼の後世に残る印象は多分に「関ヶ原の戦いにおける裏切り行為」のただ1点から来るものではないだろうか。歴史の「もしも」があるなら、「もしも秀頼が誕生しなかったら・・・」という設定の彼を見てみたいものである。しかしながら今回の秀秋も、上地雄輔君のキャスティングから想像すれば、おそらく今までどおりのキャラなのだろう。(上地君ゴメンナサイ。)

 養子に行きたくないと訴える秀秋に対して、自分も上杉の養子だったとして語る景勝。
「さりながら、それを受け入れ乗り越えるもまた侍の道。」
「今の私があるのは、己の運命(さだめ)を受け入れたからにございます。」
「運命(さだめ)には、抗えぬもの。」

 小早川秀秋の運命。豊臣秀次の運命。そして豊臣秀頼の運命。抗えない運命とは、いつどこで与えられるものなのだろうか?生まれ持ったものなのだろうか?運命を受け入れ乗り越えることが人の道ならば、それが出来る者だけが幸せになれるのだろうか?そんなことを感じた言葉だった。

 運命(さだめ)を受け入れ乗り越えられる、強い心が欲しいと願う私である。



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by sakanoueno-kumo | 2009-08-14 03:24 | 天地人 | Trackback | Comments(0)  

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