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小林繁氏の訃報に思う。

 小林繁氏の突然の訃報にただただ驚いている。享年57歳。野球ファンとしては残念でならない。現役時代の最後も、その年13勝をあげながらも31歳という若さで突然の引退を発表して世間を驚かせた。人生の最後もまた、あまりにも早すぎる引退である。

 小林繁氏といえば、沢村賞2回、最優秀投手2回、最多勝利投手1回と、短い現役生活だったとはいえ輝かしい実績を残しているのだが、そのどの功績よりも世間の知るところは、やはりあの球史に残る「空白の一日」における悲劇の人物ということに尽きるだろう。国会にまで取り沙汰されたこの事件は、世間に小林=被害者江川=悪玉のイメージを定着させた。当時子供だった私も例外ではなく、小林投手を応援し、江川投手を忌み嫌ったものだった。しかし、大人になった今にして思えば、江川投手もまた被害者だったのだと思い至る。悪いのはあの事件を仕組んだジャイアンツのお偉方であり、もっと言えば、その「空白の一日」を生む結果となったドラフト制度自体の問題とも言える。若き江川氏は、ただ純粋に憧れだったジャイアンツに入りたかっただけで、その入れ知恵をしたのは周りの大人たち。しかしすべての絵を彼が描いたかのようなバッシングのされかただった。当時、ワガママを言うことを「エガワる」という言葉まで流行したことを思い出せば、若干23歳で社会人1年生に過ぎない江川卓氏にとっては、世の中は皆敵に思えたことだろう。

 この事件によって小林投手の株は一気に上がった。世間は悲劇のヒーローとして彼に同情した。当時から熱烈な阪神ファンだった私にとってジャイアンツ時代の小林投手は、甘いマスクと爽やかスマイルのビジュアル系ヤサ男というイメージだったのだが、この事件で阪神にきてもそのことには終始口を閉ざし、ただ黙々と結果を残す彼に秘めたる男の闘士を感じた。外見とは裏腹に、男らしさを感じたものだった。しかし、悲劇のヒーロー扱いされた当の本人の心中は、果たしてどのようなものだったのだろう。彼はこの事件に関しては以後も口を閉ざしたままで、誰も知るところではない。

 2007年になって、小林繁氏と江川卓氏がCMで共演したそうである。それまで30年近く、口をきいたことがなかったらしい。江川氏が事件について謝罪した際、「もう風化してるよ。」と答えたという。多少神秘的にいえば、亡くなる前に二人の雪解けの席を神が設定したようにも思える。

 話は変わるが、小林投手といえばその独特の投球フォームで知られている。あの明石家さんまさんもデビュー当時、小林投手の形態模写で名を成した。今では少なくなった下手投げで、帽子を深くかぶり、ウイニングショットのあとは必ずその帽子が宙を舞う。帽子が飛ばないときは調子が悪いとき。一説には、わざと大きめのサイズの帽子をかぶって飛ばすことで、自分の投げる球に威力があるように見せていたという話を聞いたことがあるが、本当かどうかはわからない。当時は私もよく真似をしたものだった。昔は小林投手をはじめ、個性的なフォームの投手や打者が多かった。子どもたちは憧れの選手の真似をすることで、野球を好きになったものである。現在では、皆理にかなった美しいフォームの選手ばかりで、真似をされる個性的な選手が少ない。残念だが小林投手のような選手はもう生まれないかもしれない。

 ともかく、小林繁氏のご冥福を心からお祈り致します。


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下記、記事本文引用
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小林繁氏が死去 江川事件で阪神移籍
 1978年11月、巨人が浪人中の江川卓投手と野球協約を無視して入団契約を交わし、プロ野球界を揺るがす騒動に発展した「江川事件」で、交換要員として阪神に移籍した現日本ハムの小林繁投手コーチが17日、心不全のため死去した。57歳。鳥取県出身。小林氏は鳥取・由良育英高から全大丸を経て72年に巨人入り。76、77年にはともに18勝(8敗)を挙げて長嶋茂雄監督のリーグ連覇に貢献した。

by sakanoueno-kumo | 2010-01-18 14:42 | プロ野球 | Trackback(1) | Comments(6)  

Tracked from 平太郎独白録 親愛なるア.. at 2010-01-21 14:24
タイトル : 小林繁氏の急逝に振り返る「空白の一日」事件
親愛なるアッティクスへ 元プロ野球投手の小林 繁さんが急逝され、葬儀の模様がニュースで流れてましたが、この人は、やはり、我々の世代にとっては記憶に残る選手の一人でしょう。(合掌・・・) 昭和53年(1978年)11月に、あの「空白の一日事件」があったとき、当時、阪神ファンだった私が真っ先に思ったことは、「いずれにしても、巨人が批判されることは間違いない」ということでした。 で、その後、世論の後押しもあって強行(?)されたドラフトで阪神が江川卓投手の交渉権を獲得し、さらに、コミッショナー裁定で...... more
Commented by heitaroh at 2010-01-18 19:15
小林投手・・・。
確かに我々の世代には印象深い選手ですね。

あのとき、私は阪神ファンでしたので、海の物とも山の物ともわからない江川(特に、一年、野球浪人していたことを当時は危惧する声が多かったし。)よりも、確実に20勝が計算できる小林がもらえる方が阪神には有利だ・・・と思いましたよ。
もっとも、小林という投手は2点くらいでは押さえるけど、完封できない投手だったので、直接対決があるようになってからは完封できる江川にはまるで勝てませんでしたけどね。

ただ、あの事件は大人が悪い・・・というのはどうでしょうか。
三原脩さんなどは、あのとき、激しく起こってましたが、少なくとも、江川さんは、あのとき、すでに23歳でしょ。
十分に判断能力がある年齢ではないでしょうか。
荒川の例もあったわけですし、少なくとも、本人もそのまますんなりと行くとは思ってなかったでしょう。

池永正明さんが、25歳の時、自宅で、先輩からむりやり渡された金を突っ返さなかった・・・というのとは少し違うと思いますけどね。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-01-19 01:21
う~ん・・・。でもね。私はやっぱり当時の江川批判は異常だったと思いますよ。
意中の球団以外からの指名を固辞して入団拒否・・・まではよくあることですよね。江川にしても荒川にしても、自身の抵抗でしたことはその程度のことで、それ以後の画策は彼らの意志ではないでしょう。しかし結果的に裏口入学のような入団のしかたになった。おっしゃるように23歳といえば、善悪の判断がつく年齢ですが、どうしても入りたい球団があって、こうゆう手口でいけば意中の球団に入れるよって大人が耳打ちすれば、誰だって身を任せるんじゃないでしょうか?桑田のときも然りですが・・・。
Commented by heitaroh at 2010-01-21 14:35
確かに。
本人もその辺は覚悟の上だったのでしょうが、あれほどの騒ぎになるとは思ってなかったのかもしれませんが。
世論も、あの事件までは江川には同情的でしたし、私だって、ドラフトというのは「職業選択の自由」に反している憲法違反なのではないかと思いましたよ。
今になってみれば、ドラフトがなし崩しになった意味は大きかったのでしょうが、あのときは三原脩さんがえらく怒っていて、対案として、とりあえず、ドラフトで指名されたところに入り、入団五年目でFAの権利を取得させ、その後に意中の球団に行けるようにするべきだ・・・ということを仰ってましたが、それには、当時は、トレード=左遷・・・というのが日本の文化でしたから、やはり、アメリカとは文化が違いますから、もっと、ドラフトというものを国民に認識させる必要があったでしょうね。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-01-21 20:12
<heitarohさん。
江川の場合、あの「興奮しないで!抑えて、抑えて!」の記者会見が彼のイメージを一層悪くしたでしょうね。中学生だった私もよく真似をしました。(笑)

近年は逆指名をするルーキーがあまり見られなくなりましたね。ノムさんがよく言われていた、「プロ野球機構という会社に就職するんだ。各チームは札幌支店か東京支店か福岡支店というだけのこと。」という考え方が、ようやく浸透しつつあるように思えます。
私は少年野球の指導者をしていますが、最近の子どもたちは、ひとつの球団にあまり固執しない傾向にあるようです。球団よりも選手が好きなようで、昔とは変わって来ているようです。FAで選手の移籍が頻繁だったり、一流選手はすぐにメジャーに行っちゃったりするのが原因なんでしょうかね。
Commented by heitaroh at 2010-01-22 15:49
少年野球の指導者・・・をされてたんですね。
最初に見ていたのかもしれませんが、古沢でもおわかりの通り、少し前のことはすぐに忘れます(笑)。
悪しからず。

うちも、ガキがソフトボールをやっているのですが、左打者がやたら多いのと、ソフトボール特有の走り打ちには違和感を覚えます。
子供なんだから、勝利優先じゃなくても良いんじゃないか・・と。
まあ、勝たなきゃ面白くないし、盛り上がりにも欠けるんでしょうけど。

江川は、マスコミに追いかけられるのが嫌・・・と言ってましたが、あのとき、マスコミ側はマスコミを排除した荒川は暴漢に襲われ、選手生命を絶たれた・・・ということを言ってましたよね。
かなり、手前味噌な言い方だとは思いましたが、ある意味、真実だったと思います。
荒川選手を襲った犯人は未だに捕まっていませんよね。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-01-22 16:39
<heitarohさん。
私がいる少年野球チームはお金の掛かるクラブチームとは違い、地域密着の軟式チームで、小学校3~6年生を相手にしています。来るもの拒まずのスタイルなので、親に無理やり入れられたり、運動神経の乏しい子も多くいます。だからチーム方針は、褒めて褒めて褒めまくる指導をしています。送りバントやスクイズもさせません。おもいっきり打たせます。6年生までに全員ホームランを打てるようにというのが目標です。勝利優先の野球は中学以降で出来ますからね。でも地元では結構強くて有名なんですよ。来年のドラフトで指名されるかもしれないOBもいますし。

荒川事件のことは、私は幼かったので詳しくは知りません。彼は確かヤクルトの元監督、荒川氏の養子として英才教育されてたんですよね。そのコネで早稲田に進学したとか。大学もプロも普通の入り方とは違っていたんですね。運命に身を任せず、逆らって運命を切り拓こうとした結果、いろんな面で無理が生じたのかもしれませんね。
でものちに実業家として成功をおさめたとか・・・。もともと才能のある人は人生帳尻があうように出来ているんですね。

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