龍馬伝 第7話「遥かなるヌーヨーカ」
河田小龍という人は、吉田東洋にその才をかわれ江戸・京都・長崎などを遊学し、画師としてだけではなく蘭学にも明るかった。藩命によりアメリカから帰国したジョン万次郎の取り調べをしたことが縁で万次郎との親交が始まり、英語や西洋事情・思想など多くの知識を得てそれをまとめた「漂巽紀略」を著した。小龍が自邸に開いた塾「墨雲洞」の門下には、饅頭屋でのちの海援隊士・近藤長次郎や同じ海援隊で龍馬の秘書官的存在となる長岡謙吉などがいた。
龍馬が初めて小龍のところに訪れたとき、「ただの絵描きに過ぎず意見など持たない」といって小龍は話を拒んだという。そんな彼に龍馬は、
「今の時勢で、安穏と書画に耽っている場合ではない。」
と熱心に口説き、やがて小龍は自分の意見を語ったところ龍馬は手を叩いて喜び、
「君は内にいて人を作り、僕は外にいて船を得よう。」
と語ったという話がある。龍馬の船への大望は、このとき既に始まっていたということが窺えるエピソードである。
どこまでも攘夷思想にゆるぎがない武市半平太。小龍の話も頭から否定して聞く耳を持たない。敵を知り己を知ることが兵法の鉄則で、そんなことがわからない半平太ではないはずだが、彼らにとって攘夷というのは侍である証でもあり、譲れない誇りでもある。現代の私たちから見れば盲目思想のなにものでもないが、この時期の志あるエリート侍たちは皆、半平太の型が普通だった。龍馬が変わり者なのである。だからこそ土佐の若者たちは半平太のもとに集い、やがて幕末の風雲に散っていくのだが、この盲目思想がやがて時代を大きく変える大波になったことは間違いない。半平太たちが歴史に与えた影響は、はかりしれないものだった。
それにしても、私が抱く武市半平太像は、弥太郎の皮肉や挑発に目くじらを立てるような男ではない。堅物ではあるが包容力を持った人格者で、弥太郎ごときに敵対心を持つような人物ではないと想像するのだが・・・どうだろうか?
龍馬の父・八平がこの世を去った。安政2年(1856年)、龍馬20歳のときである。第1話から通して八平役である児玉清さんの演技は素晴らしかった。厳しくもあり、優しくもあり、威厳のある父親像は、私も含め息子を持つ多くの父親の理想の姿だと思う。あんな父親になりたいものだが・・・ほど遠い私である。
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by sakanoueno-kumo | 2010-02-15 02:28 | 龍馬伝 | Trackback(5) | Comments(4)
感想というか呟きというか。家族で見ているんで、時折ボソっと突っ込みやら何やらそれぞれ色々呟いてます。そういうのが苦手な方はスルーお願い致しますタイトルを見て先週ダンナが呟いた「ヌーヨーカ・・・・・?ヌーヨークじゃないんだ・・・・・」うん、確かにちょっと...... more
第7話、素敵なエピソードが満載でした。ひとつの風景のような家族に今回も出会いました。 龍馬、江戸から帰る、 龍馬、土佐に帰る、 家族の待つ、父の待つ、坂本家。 (バレンタインデイの今日、 福山さんはチョコお好きなのかしら。 今年は間に合いませんでした。) し... more
第7話『遥かなるヌーヨーカ』河田小龍登場。あの飄々としているというか、浮世離れした感じが良いなあ。何か毎回、新しい人物が現れてるな。その人の個性で惹き付けつつ、物語はシンプルに纏まっている。まあ実際に、龍馬は傑出した人物と次々に出逢い、影響され磨かれて...... more
いったん土佐に帰ってきた龍馬。 武市道場にも顔を出すが、すっかり武市半平太以下、攘夷に染まってしまい、居場所がなくなることに。 でも人斬り以蔵をはじめ、どうやって外人を追い払うかは全く考えていない`..... more
親愛なるアッティクスへ 本日の福岡県地方はまさしく、三寒四温・・・。 昨日までとはうって変わって、春を思わせるうららかな陽光が降り注いでおります。 先日、今頃になって、ようやく先週の大河ドラマ「龍馬伝」を見ました。 で、武市半平太が河田小龍に対し、目をつり上げて、「攘夷をどうするつもりか!」・・・と迫るシーンがありましたよね。 あれを見てたら、まさしく今の世の、ネットなどで過激な意見を吐いている人たちとまったく同じじゃないですか。 (この手の輩が、中途半端に理論武装しているから始末...... more
いつも、TBばかりで申し訳ありません(笑)。
落ち着いたら、また、改めてコメントさせて頂きます。
TBまだのようですが・・・。
吉田東洋という人は、下級武士を弾圧した権力主義者のイメージが強いですが、実は能力のあるものは階級にとらわれず重用するといった合理的な考えを持った人だったようで、のちの後藤象二郎や乾(板垣)退助なども彼によって引き上げられた人物です。武市半平太のことも人物としては認めていたようで、「瑞山先生」などと呼んで何度も会見し、議論を交わしていたようです。ただ、あくまで一藩勤皇を目指していた半平太と、公武合体論を主張していた東洋は歩み寄ることが出来なかったのでしょう。
ドラマ中の東洋は、ちょっとダーティーに描かれ過ぎですね。