終戦記念日ドラマ、「歸國(きこく)」を観て。

 終戦記念日の特別ドラマ「歸國」を観た。物語の内容は、六十余年前に戦死した兵士たちが数時間だけ現代の日本に帰国し、その英霊たちの視点で現代社会を考えるというもの。国のために死んだ者にとって、今の日本は正しいのか、彼らが願った平和とはこのようなものだったのかといったテーマで、毎年この時期に制作される“反戦”をテーマとしたドラマとは趣を異にする内容だった。

 率直な感想から言うと、設定は面白かったが取り立てて何かを考えさせられるというものではなかった。そもそも戦前戦中の日本と、現代の日本のどちらが正しいかなどと比べること自体ナンセンスなこと。昔は昔の良いところ悪いところがあり、現代もまた同じ。「豊かさと引き換えに大切なものを失った。」などといった論調は使い古されたテーマで、そんなことは改めてドラマで伝えてもらうまでもなく、現代人は皆、大なり小なりそれを感じながら今を精一杯生きている。何かを得たら何かを捨てなければならないのは常で、問題を解決すれば、また新たな苦労や苦悩が生まれるのもまた常だ。昔の価値観で今を批判することも、また今の価値観で過去の罪を問うことも私は共感できない。終戦記念日にはこういったテーマのものよりも、例年どおり戦争を直視するような作品をつくり、それを観た個々がそれぞれに何かを感じることのほうが、戦争を風化させないということになるのでは、と私は思う。

 そんな中でも、いくつか印象に残るシーンがあった。8月15日の早朝、政府閣僚の靖国神社参拝に向けてマスコミが大勢集まって来ているのを見た英霊たちのの会話。
「国としての公式参拝が認められていないのか?」 
「この戦争の指導者が合祀されているから駄目だという人もいます。」
「国のために死んだ俺たちを、国の責任者が参拝するのは当然の義務なんじゃないのか!」 
「報道はどっちの味方だ?参拝するべきと思っているのか、するなと思っているのか?」
 
「どっちでもありません。奴らは要するにそんな国の要人の姿を世界に報道したいんでしょう。奴らに愛国心はないみたいですよ。」
 物語の本筋とは直接関係がなく、脚本家の意見を英霊たちの口を借りて述べた観がアリアリのシーンだが、確かに英霊たちにこれを言われるほど説得力のあることはない。そしてこのシーンを作っているのが“奴ら”呼ばわりされているマスコミだというのもまた面白いところだ。さらに、奇しくも今年の終戦記念日、この30年で初めて閣僚が一人も公式参拝しなかったという事実も加わって、よくぞ言ってくれた観あり。おそらく菅さんはドラマは観ていないだろうが・・・。

 もうひとつ印象に残ったシーン。ドラマ終盤で生瀬勝久さん扮する報道官の霊が言った言葉。
「人間は二度死ぬ。一度目は肉体的に滅んだとき。二度目は完全に忘れられたとき。」
 英霊であれ普通の霊であれ、この世に“霊魂”というものがあるとするならば、それは残された人の心の中にあるもの・・・だと私も思う。亡くなったその人を思い出してくれる人が生きているかぎり、その心の中に故人の霊も生き続ける。その心を持った人が全てこの世からいなくなったとき、霊魂も消えるときだと・・・。その論でいえば、もうすぐ戦死者たちを思い出すことのできる人たちがこの世からいなくなるわけで、英霊たちも英霊ではなくなるということ・・・。そうなったときの日本が、過去の戦争をどのように認識しているかは私にはわからない。

 こういった話題になると、私はいつも思うことがある。私たち戦後生まれの者には、戦前責任も戦中責任もない。しかし、未来に起こるかもしれない戦前責任は、私たちにもある・・・と。


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by sakanoueno-kumo | 2010-08-17 21:28 | その他ドラマ | Trackback | Comments(8)  

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Commented by marquetry at 2010-08-18 01:52
この時期がくると、いつも考えさせられる...戦争。
戦争を容認する訳ではないが、戦争責任や戦犯問題が持ち上がると、私には、戦争を避けられたのか?という思いが起きる。...私だったら、命令に背くことは出来たのか?と。
戦地に行き、武器を持たない事等出来るだろうか?
そして、生きる為に、体を売る事もいとわないだろうか?
それとも、自決しただろうか?
...答えのだせない私には、戦争を否定する事も出来ない。
ただただ、二度と起こらないように...と願うばかりです。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-08-18 09:43
< marquetryさん。
70年前の時点で戦争を避けられたかどうかは、私たちは書物などで得た知識から考えるしかなく、本当のところはわかりません。
でも、どの道どこかで日本は戦争という道を通らなければならなかったとは思います。
そう考えれば、先の戦争も歴史の必然だったのかなと・・・。
てなことを言えば、キツイお叱りを受けるかもしれませんが・・・。

それよりも、私たちの世代にとってもっとわからないのは、戦争の怖さです。
いくら映画やドラマを観ても、お年寄りから話を聞いても、実体験のない私たちにはその本当の怖さはわからないですからね。
地震の少ない関西に育った私は、阪神大震災を経験するまでその恐ろしさはまったくわかりませんでしたし、備えもありませんでした。
一度経験した今は、備えは万全です。

二度と起こらないように願う・・・といっても、一度目を知らない私たちが、どれほど真剣にそのことを願っているかといえば、私も含めそれは疑問符です。
自分が生きてるうちは大丈夫だろう・・・と、根拠のない楽観がないといえば嘘になります。
それこそが、未来への戦争責任なのかなと・・・。
Commented by heitaroh at 2010-08-18 17:15
私はこのドラマは見てませんが、「未来への戦前責任」ですか・・・。
言い得て妙ですね。
私も、最近、反戦論も、ぼちぼち、賞味期限切れであるかな・・・という観を強くしておりました。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-08-19 01:30
< heitarohさん。
「未来への戦前責任」などといっても、じゃあ何をどうすればいいのかは全くわからないですけどね(苦笑)。
何となく漠然とした思いですが、戦争経験はないけど戦争経験者の声を直に聞いていた私たちの世代が、それをどう解釈し、次の世代にどう伝えていくかで、後の世の戦争観が作られるのかな・・・と思ったりします。
そう考えれば、「未来への戦前責任」の結構な重責を担っているのかなと・・・。

ただ、戦後六十余年、いつまで過去の責任話に縛られているのか、とも思うわけです。
反戦論にしても、過去のことではなく、もっと未来に向けて考えようよ、と・・・。
Commented by marquetry at 2010-08-19 22:07
19歳の若き編集長が、『LOVE&Peace』...ジョンレノンの言葉がどれほど世界中を駆け巡っても、戦争は無くならなかったし、止められなかった事について、ただ歌うだけ、言葉で伝えるだけじゃダメなんだ...と言っていました。....未来への責任を、もし考えるとしたら、次は、行動の時代なのかもしれませんね...何が出来るのか、解りませんが、今、自分が出来る事は、自分の中の凶器をコントロール出来る様にすることと、イザと言う時に、風潮に流されない自分でいられるかどうか?でしょうか...。
日本人の良い風習のなかに、気づかいがありますが、他人の気持ちになれる日本人だからこそ、アレから、65年戦争をぶり返す事無くこられたのかもしれません。中国も韓国も、戦争を止めたのではなく、休戦中の国...。イギリスやロシア、米国は、未だに戦争の影の当事者達と言えます...日本はよくよく忍耐強くきた65年だったと思う私です。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-08-20 11:56
< marquetryさん。
人類の歴史は、戦争の歴史といっても過言ではないと私は思っています。
『LOVE&Peace』という言葉が謳われだたのは、たかだかこの半世紀ほどにずぎす、それまでの人間社会は、戦争と殺戮、植民地支配など、食うか食われるかを繰り返しながら発展してきました。
争いは人間の“本能”だと言ってしまってもいいと思います。
ただ、“本能”をむき出しにするには、戦争科学はあまりに進歩しすぎた・・・とはいえるでしょう。

私の好きな司馬遼太郎さんが、小説「坂の上の雲」の中で、歴史認識をこのように語っています。
「19世紀から20世紀初頭にかけて、世界の国家や地域は、他国の植民地になるか、それが嫌なら産業を興して軍事力をもち、帝国主義の仲間入りをするか、その二通りの道しかなかった。後世の人が幻想して侵さず侵されず、人類の平和のみを国是とする国こそ当時のあるべき姿とし、その幻想国家の架空の基準を当時の国家と国際基準に割りこませて国家のありかたの正邪を決めるというのは、歴史は粘土細工の粘土にすぎなくなる。」と・・・。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-08-20 12:10
< marquetryさん。
>自分の中の凶気をコントロール出来る様にすること・・・。
このことについて、また司馬さんの言葉を借りますが、司馬さんが小学校6年生ぐらいの子供を対象に書いた「二十一世紀に生きる君たちへ」の中で、このように言っています。
『「やさしさ」とは本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならない。』と・・・。

『LOVE&Peace』は人間の持つ本能ではなく、『争い』こそが人間の本能・・・。
だからこそ、その『やさしさ』を訓練して身につけねばなりませんね。
おっしゃられる『気づかい』も、そのうちのひとつでしょう。
私たちが出来る「未来への戦前責任」は、まずはそんなところからじゃないでしょうか・・・。
Commented by marquetry at 2010-08-20 12:47
御意!

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