龍馬伝 第43話「船中八策」

 「いろは丸事件」の談判のため、坂本龍馬が長崎で足どめされている間に、京では四侯会議が開かれていた。四侯とは、薩摩藩・島津久光、土佐藩・山内容堂、越前藩・松平春嶽、宇和島藩・伊達宗城の賢侯4人である。これは、前年の慶応2年(1866年)に正式に将軍となった徳川慶喜の独裁を許さず、政治のイニシアティブを幕府から雄藩連合に移そうと、西郷隆盛が周旋したものだった。西郷は自分の主君である久光を本心では軽蔑しきっていたし、容堂のことも宗城のことも信用はしていなかったが、それでも彼は、高知へ足をはこび、宇和島へまわり、彼らをおだてて上京を約束させた。それも、「家康の再来」などと言われた慶喜の足をひっぱり、幕権の巻き返しを許さないためだった。容堂を説得するにいたって西郷は、今度こそは中途半端で帰ってもらっては困ると念を押した。「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄された容堂。事の成り行き次第では、容堂は途中で逃げ出してしまうのではないかという懸念が西郷には拭いきれなかった。容堂は答えた。「このたびは、東山の土となるつもりぞ。」と。

 しかし結局は、慶喜の巧みな政局操作の前に、4人束になっても敵わなかった。四侯会議の議題は兵庫開港勅許長州処分案。彼ら4人には開港を止められるはずはなかった。そもそも、4人とも開港派だったのだから。それを幕府が行うのことがいけないとは、この時点ではまだ政権を保持していた幕府に対して、筋の通る論ではなかった。しかもまずいことに、四藩とも安政以来、慶喜の「英明さ」をもって将軍にしようと尽力してきた藩だった。4人は慶喜に圧倒された。そして4人の足並みがそろわないうちに、慶喜は兵庫開港勅許を朝廷から取り付けたのである。勅が出てしまえば慶喜の行動は正当化される。四賢侯といわれた4人は、慶喜の政治力の前に完敗した。

 容堂は帰国した。つまり、逃げたのだ。「東山の土となる」とまで言った容堂だったが、彼が京にいたのは半月余りだった。帰国した理由は、虫歯だった。歯茎が膿んで口もきけないという。これは事実だったようだが、しかし実に子供じみた理由だ。容堂が逃げ去った京で、人々はこのうように歌ったという。
 「ゆんべ見たみた四条の橋で 丸に柏の尾が見えた」
 丸に柏の三ツ葉は、山内家の紋だった。

 容堂と入れ違いに、「いろは丸事件」の決着をつけた坂本龍馬後藤象二郎が京に入った。二人を乗せた夕顔丸が長崎を出港したのは慶応3年(1867年)6月9日、兵庫に入港したのが12日、大坂を経て京に入ったのが15日、この船中で龍馬が考案し、後藤に説き聞かせたといわれているのが、大政奉還とその後の政策を示した八カ条の条文、有名な「船中八策」と呼ばれるものである。

 船中八策
一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。
一、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。
一、有材の公卿・諸侯及天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。
一、外国の交際広く公議を採り、新に至当の規約を立つべき事。
一、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。
一、海軍宜しく拡張すべき事。
一、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。
一、金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。
 以上八策は、方今天下の形勢を察し、之を宇内(うだい)万国に徴するに、之を捨てて他に済時の急務あるべし。苟(いやしく)も此数策を断行せば、皇運を挽回し、国勢を拡張し、万国と並立するも亦敢て難しとせず。伏て願くは公明正大の道理に基き、一大英断を以て天下と更始一新せん。


 この「船中八策」は、その後の「薩土両藩盟約」の主要条項となり、ひいては土佐藩が建白した「大政奉還建白」の基案となり、大政奉還後に龍馬の手で「新政府綱領八策」と更に具体化され、やがては龍馬の死後、明治元年の「五箇条の御誓文」にも引き継がれる、幕末維新史上、もっとも注目すべき文書とされている。

 第一条は朝廷への政権の奉還、第二条は二院制議会の設置、第三条は人材登用と朝廷の内部刷新。「船中八策」とは、実はこの三条項がすべてだといってもいい。第四条から八条までは、開国に向けての規約の立法、法制度の確立、海軍の拡充、親兵の設立、諸外国との不平等条約の改定など、いわば日本国の近代化案で、これらは現徳川政権のままでも可能なことである。第一条から第三条までの三条項が、現政権と現秩序を否定する、いわば龍馬の倒幕論だった。

 ドラマでは、八カ条のひとつひとつが、これまで出会ってきた人たちから学び得てきたものとされていた。私もそうだっただろうと思う。勝海舟松平春嶽横井小楠河田小龍、ドラマには出ていないが、幕臣・大久保一翁から得たものも影響していたに違いない。グラバーからの入れ知恵もあったかもしれない。幕臣、学者、商人と相手を選ばずに学んだ、固定観念にとらわれない龍馬の「やわらか頭」が、この奇跡の条文を作り出したのだろう。私は、一般にイメージされているような、龍馬が平和主義の非戦論者だったとは思っていない。幕府が大政奉還を受け入れないときは、武力討幕も辞さない考えを龍馬も持っていたと私は思っている。ただ、誰もが不可能だと思った「薩長同盟」を成立させたように、ものごとをひとつの角度から見ずに、あらゆる可能性を模索する、つまりは既成の概念に執着しない龍馬の「やわらか頭」が、大政奉還という一見現実味がなさそうな道に向かわせたのだろう。そこが、坂本龍馬の最大の魅力だと私は思う。

 後世の私たちには魅力的に思えるその龍馬の行動は、同時代に生きる者にとっては必ずしも魅力的ではなかった。そのことによって龍馬は多くの敵を作り、孤立していったことは間違いない。


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by sakanoueno-kumo | 2010-10-25 01:29 | 龍馬伝 | Trackback(7) | Comments(8)  

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龍馬暗殺まで5ヶ月と迫ったようですが、龍馬暗殺 には色々な説があります。 京都見廻組説・新撰組説・薩摩藩説・紀州藩説・後藤象 二郎説など様々{/kuri_3/} 他にも薩摩+土佐連合説や武力倒幕論者だった中岡慎 太郎説・その中岡が隊長だった陸援隊説、はたまた龍 馬自殺説まであるのです{/cat_5/} 京都見廻組説が有力だと個人的には思っていますが、 このドラマではどの説を採用するのでしょうかね?? 大久保利通が龍馬を目障りと言ったという事は薩摩藩 説なのでしょうか?? 先週のいろは丸事件では紀州藩...... more
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111λİΨ®Ǥ SMAPSMAPפȡ֤٤007פ˵ס纹夭ޤ Ȥ۰VSּͳҡƣפ15.411.7 10ǯϰӤ⡼̼Υޥ͵쥫ޥ˴ԤǤ ˤƤͳҡƣäơ̤ߤʥ㥹ƥǤ͡ ޥ롦᥽ȥޥȸƤФƤͭ̾ǤΤդ꤬ȤȤϡ ּͳҡפΥǥӥ塼μ̿ơѤäƤʡפȤͭĤΥȤ˾ФäƤޤޤ ͵۰줵Ǥ̤äƤޤ ... more
Commented by marquetry at 2010-10-25 12:58
そうですね...柔らか頭で、無鉄砲で、確信があって揺るがない...そんな龍馬は、希望や夢ではあっても、当時は厄介者だったかもしれませんね。戯言を口にするだけならまだしも、行動してしまうのですから...理解してくれる人は本当に少なかった事と思います。
週末見たTVで、村山貞子さんの話がありました。国連でも問題児(御歳83歳ですが)だったようですが、彼女もまた、柔らか頭と信念の揺るがない人だったようです。...周りを敵にまわしても、果たすもののために、法律まで変えてしまう...。はたまた、国連内部を敵にまわすことも、想定内で、それを利用する...根幹を変えるのではなく、在り方を状況に合わせて変化させる勇気を持った人というのは、なんて、強かなんでしょう。...私は、この強かと言う言葉は、悪い意味で使われる事が多いですが、本来は、こうゆう人達の事を言うのではないかと思います。
龍馬には、いったいどこまで未来が見えていたんでしょうね...。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-10-26 02:20
< marquetryさん。
村山貞子さんって、緒方貞子さんのことですよね?
間違ってたらゴメンナサイ。
緒方貞子さん・・・カッコイイという言葉が相応しい人ですよね。
遠くから見てカッコイイと思える人というのは、身近で関わっている人にとっては厄介な存在なのかもしれませんね。
龍馬もまた然り。
逆に、身近にいて何の害もない人は、第三者から見れば何の魅力も感じない人かもしれません。
生きていくには、きっと後者のほうが楽でしょうね。
でも、敵を作ってでも、私もカッコイイ男になりたいものです。

以前もお話ししたことがあったと思うのですが、龍馬の遺した言葉に、「義理など夢にも思うことなかれ、身をしばらるるものなり」というものがあります。
己の信念を貫くためなら、たとえ昨日までの仲間でも、敵にまわすことも辞さない。
私の思う龍馬は、そんな骨太な男だったと思ってます。
龍馬にどこまで未来が見えていたかはわかりませんが、未来に希望を見ていたことは間違いないと思います。
Commented by sumi_0083 at 2010-10-26 13:31
龍馬のやわらか頭には、頭が下がります。
天性のものなんでしょうか。
Commented by みーおでん at 2010-10-26 21:28 x
こんばんは♪

記事を拝見すると、本当に分かりやすくてありがたいです。

いつも「竜馬がゆく」と比べてしまって、ドラマが物足りなかったのですが、今回は感動しました。

龍馬さんがこれまで関わった人々、志半ばで命を落とした多くの人々の思い、新しい世の中にしたい強い思いが詰まった考えだったのですね。

私は龍馬さんが暗殺されたことが残念で仕方がなかったのですが、今回見ていて、龍馬さんは精一杯生きて、志を遂げることが出来たのではないか、いつ殺されても満足できる日々を送っておられたのではないかと感じました。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-10-27 00:54
< sumi_0083さん。
コメントありがとうございます。
龍馬が「やわらか頭」になった理由としてよく言われるのは、坂本家の本家が才谷屋という商家で、侍でありながら子どものころから商人的発想が発達していた・・・とか、経済的に恵まれた環境に育ち、尚且つ末っ子で愛情たっぷりに育てられたため、他の下士たちのような劣等感を持たず、凝り固まった思想にも感化されなかった・・・などと言われますが、それも一理あるかもしれませんが、そういう環境に育てば皆そうなるとは限りませんよね。

龍馬はあまり学がなかったといわれますが、司馬遼太郎氏は小説「竜馬がゆく」の中で、「竜馬のような天才型の男には、学問はかえって邪魔だ。」といった意味の台詞を武市半平太に言わせますが、既成の概念にとらわれなかったという意味では的を射ているとも思えますが、これも、学がなければ皆、「やわらか頭」になれるわけではありません。
やはり、生まれ持ったものなんでしょうね。
多少神秘的にいえば、歴史の要求で天が彼に生を与えた・・・とでも言いましょうか(笑)。

平時に生まれていれば、きっと単なる変わり者だったと思いますよ(笑)。

Commented by sakanoueno-kumo at 2010-10-27 01:14
< みーおでんさん。
こんばんは♪

「志士は溝壑にあるを忘れず、勇士はその元を喪うを忘れず」の言葉のとおり、龍馬のみならずこの時代の志士たちは皆、いつでも死ぬ覚悟は出来ていたと思います。
ただ龍馬の場合、ここで死ぬのはやはり無念だったと思いますよ。
「船中八策」に見るように、この時期ここまで開明的なビジョンを持っていた龍馬ですから、きっと新しく生まれ変わった日本で自分の成すべき世界を見つけていたのでは・・・と思ってしまいます。
せっかく大学に合格したのに、入学式前に死ぬようなもので・・・(笑)。

ドラマでは、若き日の龍馬が「黒船に乗って世界中を見てまわりたい」といった夢を父に語ったシーンがありましたね。
本当にそんな夢を持っていたかはわかりませんが、明治まで生きた龍馬がどんな人生を歩んだか、見てみたいですね。

Commented by marquetry at 2010-10-30 01:20
あちゃぁ〜間違ってましたぁ〜その通り!緒方貞子サンでした...ダメですね...最近活字が頭から消去されてます...特に、顔は覚えていても、名前が出てこない...(半べそ汗汗)
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-10-30 19:50
< marquetryさん。
いや~、よくあることです。
私など、タレントさんの名前や昔の友人の名前など、ホント出てこないことが多いですから・・・(汗)。
毎日会ってる部下の名前を呼び間違えたりします(汗汗)。
この歳でこんだけ忘れっぽいと、歳寄りになったらどうなってるんだろうと・・・(汗汗汗)。

しかし、絶対に間違えないように注意している名前・・・それは妻の名前です(笑)。
これを間違えると、違う意味で大変なことになります(汗汗汗汗)。

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