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坂の上の雲 第2部まとめ

 第2部全4話が終了した。舞台は日清戦争後の臥薪嘗胆の時代から、日露戦争開戦に至るまで。昨年の第1部では、主人公である秋山真之・秋山好古・正岡子規の3人の明るく楽しい青少年期を軸に展開していたが、この第2部から物語は大きく変わってくる。日露戦争に至るまでの政府要人たちの苦悩や、日清戦争時とは違い重責を担うようになった秋山兄弟の葛藤、さらには日本を取り巻く国際情勢の暗雲と、物語は「戦争」を主軸に展開していく。

 第1部のまとめでも述べたとおり、この小説の著者・司馬遼太郎氏は生前、この作品の映像化を頑なに拒み続けていた。その理由は「ミリタリズム(軍国主義)を鼓吹しているように誤解される。」というもので、実際にこの作品を否定する方々の見解に立脚すれば、「戦争賛美の物語」となるからである。日露戦争を描いた作品というのは、そういった批判を受けやすい。例をあげれば、1980年に公開された映画「二百三高地」は、日本が勝利した戦争の物語というだけで、一部の教育者や政治団体から「軍国主義賛美映画」「右翼映画」などと内容を論ずることなく決めつけられ攻撃された。同映画は、戦場で戦う末端の将兵の思いや葛藤を主軸にした物語で、「戦争賛美」と批判される要素はどこにも見当たらない作品だったが、この「坂の上の雲」は、たしかにそういう要素がある。当時の戦争指導者たちとエリート将校たちの有能さを描き、のちの昭和の大戦とは違って、日清・日露戦争はやむをえない「祖国防衛戦争」だったというのがこの作品の立場で、司馬氏の懸念するとおり誤解されがちな物語である。第2部以降、どこまで司馬氏の原作の主観を変えずに描けるかが興味深かった。

 感想をいえば、思った以上に原作の立場を忠実に描いていたと私は思う。ナレーションの内容は、ほぼ司馬氏の言葉をそのまま引用していたし、日露戦争に向けての政治的な立場の描き方も、ドラマ故割愛されていた部分もあったが、概ね主眼はずれていなかった。逆にいえば、昨今の日本を取り巻くアジアの情勢を鑑みれば、よくこんな作品を今の時期に放送できたものだ・・・とも思った。今年の大河ドラマ「龍馬伝」が、韓国での放送が決まったそうだが、この「坂の上の雲」は間違っても近隣諸国に受け入れられることはないだろう。まあ、伊藤博文が出ている時点であり得ないだろうけど・・・。

 それでも、やはり多少はオブラートに包んだ描き方になっていた部分もあった。しかし、これは仕方がないことだろうとは思う。司馬氏がこの作品を書いたのは、昭和43年から47年にかけてで、世界は東西冷戦の時代だった。その後、世界の戦争に対する価値観は変わってきている。旧ソ連の崩壊「冷戦」の終結という激動を経て、「一国覇権主義」となったアメリカがイラク戦争をめぐってヨーロッパの同盟国からさえ孤立し、北朝鮮問題での「六カ国協議」など、国際秩序の考え方も変わってきつつある。そういう中で、100年以上前の戦争での日本人の「優れた能力」を誇りのように肯定的に描いた作品を今になって映像化するのは、時代錯誤といえるかもしれない。司馬氏自身も、この作品の執筆後の作品やコラムなどで、考え方が変わってきている旨の発言も見られた。だから私はあくまで、明治という時代とその時代に懸命に生きた先人たちの姿だけを、このドラマでは見ていきたいと思う。

 ドラマとしての出来栄えについては、素晴らしいの一言につきる。莫大な予算をかけたスケールの大きさもそうだが、ストーリーがしっかりしているところに一番の見応えがあった。主人公たちの場面だけでなく、それ以外の登場人物の場面もきめ細やかに作りこまれているため、息を抜くところがなかった。たとえば、第6話の「日英同盟」の回などは、話の展開上、主人公の3人がほとんど登場していない。にも関わらず、まったく中弛みしなかったのは、それだけストーリーがしっかりしているからだろう。作り手の作品に対する自信がうかがえる。

 原作にはないオリジナルの話も多かった。司馬氏はこの作品を書くにあったて、「フィクションを禁じて書くことにした。」と語っており、必然的に原作では女性の登場人物が極めて少ない。子規の妹・も、原作では子規の死の際に少し登場する程度で、真之の妻・李子にいたっては、数行程度出てくるだけである。故に、彼女たちのエピソードは全てドラマのオリジナルなのだが、そのことについて「原作と違う」といった批判の声も多く聞かれたが、私はこれはこれで良いと思っている。小説ならともかく、男だけのドラマなど味気ないものだ。物語の本筋には関わらない部分なのだから、むしろ息継ぎの役割として良いのではないだろうか。そんなふうに思えるのもまた、ストーリーがしっかりしているからだろう。

 さて、また11ヵ月のインターバルを挟んで、来年の12月はいよいよ第3部となる。全13話中9話が終了したわけだが、実は原作でいうと、文庫本全8巻中まだ3巻の途中でしかない。残り4話で、原作5巻分を描かねばならないわけだ。描ききれるのだろうか・・・。このあと小説では、陸・海軍の作戦、戦術、攻防の叙述、そして作者の主観をまじえた語りが主要な柱となって展開される。つまり、原作どおりに描けば、ナレーションだらけになってしまうわけだ。そこをどう上手く描くかが興味深い。子規の死後、原作では次の章の冒頭で作者はこう述べている。
 「この小説をどう書こうかということを、まだ悩んでいる。子規は死んだ。好古と真之は、やがて日露戦争のなかに入っていくであろう。できることならかれらをたえず軸にしながら日露戦争そのものをえがいてゆきたいが、しかし対象は漠然として大きく、そういうものを十分にとらえることができるほど、小説というものは便利なものではない。」
 さらに第4巻のあとがきでは、こうも述べている。
 「この作品は、小説であるかどうかじつに疑わしい。ひとつには事実に拘束されることが百パーセントに近いからであり、いまひとつは・・・どうにも小説にならない主題をえらんでしまっている。」
 「日露戦争を接点として当時の日本人というものの能力を考えてみたいというのがこの作品の主題だが、こういう主題ではやはり小説にはなりにくく、なりにくいままで小説が進行している。」

 どうやら司馬氏自身、子規の死後、戦争の描写のみになってしまった物語に懐疑的になりながら、その迷いの中、2000ページ以上の紙数を費やしたようだ。迷いながら書いたから、2000ページ以上もの紙数になってしまったのかもしれない。その2000ページを集約すれば、実は4話ほどで事足りるのかもしれない。いずれにしても、第3部の4話は、冒頭で述べた「ミリタリズムの鼓吹という誤解」がこの第2部以上に懸念されるところでもある。どういうふうに描くか・・・来年に注目したいところだ。

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 本年の起稿はこれでおそらく最終となります。今年は大河ドラマ「龍馬伝」や、この「坂の上の雲」と、私にとっては力の入る大河ドラマ年で、拙い文章ながら毎週意欲的にブログ更新に取り組んできました。来年の大河ドラマ「江~姫たちの戦国」も、これまでどおり毎回起稿するつもりではいますが、なにぶんにも同作品については今年ほどの知識も私見もありませんので、少し肩の力を抜こうと思います。逆に、今年は龍馬関係に力を入れすぎて他の話題をあまり出来なかったので、来年は歴史物以外の稿を増やせたらと思っております。また来年も覗きにきていただければ光栄です。どうぞ、良いお年をお迎えください


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by sakanoueno-kumo | 2010-12-30 03:48 | 坂の上の雲 | Trackback | Comments(6)  

Commented by ブラック奄美 at 2010-12-30 18:24 x
今回の「坂の上の雲第二部」においても、非常に濃い内容のブログを提供していただいて本当にありがとうございました。第二部のまとめとしての今回のブログの中で、執筆遂行にあたっての司馬氏の心情を紹介していただいた(青字の)箇所は「目からウロコが落ちる」思いで、非常に興味深く拝見させていただきました。この心情が再認識されることによって、本作品に対する表層的な批判も変わってくるのかな・・・・と思います。
Commented by ブラック奄美 at 2010-12-30 18:26 x
私自身といえば、本ドラマの素晴らしさは言うまでもないんですが、それ以上に、原作を大胆に改変してまで、あらゆる方面に気を使いまくっていた内容だったなあと感じています(苦笑)近隣諸国方面、司馬史観自体に強烈に反発するグループ、そして女性の視聴者層・・・これらに対する痛々しいほどの配慮は、これすべて制作サイドの良心の証・・・・という風に広い心で(笑)解釈させてもらおうと思っています。ただ一点、広瀬中佐の最後の最後の部分のシーンについては、正直ものすごく憤懣を覚えましたので、これは思わず「ヤフー、みんなの感想」のほうにアップしましたが、まあ、今となってはこれも置いておきます。「歴史ドラマ造りにおける志(こころざし)」とは、かたやもう一方で崇敬するブロガー「妄想大河」さんの言葉ですが、第三部においても本ドラマの志を信じて、しっかりと拝見させてもらおうと今から思っています。それにしても放置プレイのこれからの1年間は長いですよね(笑)
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-12-31 02:13
< ブラック奄美さん。
身にあまるお言葉ありがとうございます。
龍馬伝のときは、出来るだけ長すぎず短すぎずの文を心掛けていたのですが(あまり長文だと読んでくれる人の意欲をそぐため)、1時間半という通常の大河の2倍の長さのこの「坂の上の雲」で、しかもあれだけ内容の濃いものを、どれかひとつの要点に絞って簡潔にまとめるのは難しく、ついつい長文となってしまいました。
毎週、映画を見ているような気分でしたね。

司馬さんはこの作品の中で、明治と対比しながら昭和を厳しく批判しています。
決して戦争肯定論者ではありません。
晩年、声高になりつつあった、いわゆる「普通の国」論や憲法改正論には、常に否定的な見解を述べておられました。
「押しつけとかいろいろ悪口いう人もいますが、できた当時、自分が生きているあいだにこんないい憲法が出来るとは思わなかった、と感じました。今でもその気持ちは変わっていません。」と、対談集の中でのべています。
つづく。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-12-31 02:17
< ブラック奄美さん。
つづき。
また、司馬さんの作品「この国のかたち」のあとがきで、自身の太平洋戦争の終戦感を、このように述べておられます。
「終戦の放送をきいたあと、なんとおろかな国にうまれたことかとおもった。(むかしは、そうではなかったのではないか)とおもったりもした。むかしというのは、鎌倉のことやら、室町、戦国のころのことである。やがて、ごくあたらしい江戸や明治時代のことなども考えた。いくら考えても、昭和の軍人たちのように、国家そのものを賭けものにして賭場にほうりこむようなことをやったひとびとがいたようにはおもえなかった。」と。
司馬氏がこの「坂の上の雲」を執筆する視点は、自身の「8・15」の終戦感によるものだろうと思うます。

とにもかくにも、来年の12月が待ち遠しいですね。
私の中でこのドラマは、大河ドラマ史上最高傑作となりそうです。
来年もまた、よろしくお願いします。
Commented by heitaroh at 2011-01-05 11:42
年末年始の間もずっと仕事してましたので、やっと、少し余裕が出来ました。
で、今頃・・・ようやく、拝読致しました。

まったくもって、同感です。

ただ、私が思っていたのは、

>昨今の日本を取り巻くアジアの情勢を鑑みれば、よくこんな作品を今の時期に放送できたものだ・・・

ということよりも、あまりの秋山、広瀬・・・ひいては日本賛美の姿に、かなり寒いものを感じました。
中国人やロシア人がこれを見たら、やることなすことうまく行ってない日本人が、敢えて周囲を見ようとせず、自分の若かりし頃の姿だけを見つめてうっとりしている・・・と思われそうで・・・。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-01-05 14:28
< heitarohさん。

>自分の若かりし頃の姿だけを見つめてうっとりしている・・・

なるほど、的を射た表現ですね。
若かりし頃の武勇伝を語りたがるのは、年寄りの姿。
その意味では、今の日本は老年期に入っているといえるかもしれませんね。
ということは、日本の生い先は短い・・・ということでしょうか・・・。
たしかに寒いものを感じます。

私は司馬さんの作品の中でも、この「坂の上の雲」は好きな作品です(ハンドルネームにもしてるくらいですから・・・笑)。
しかし、この度のドラマ化にあたって十数年ぶりに読み返してみて、本文中でも述べましたが、今になってこれを映像化するのは、少々時代錯誤なのではないかと感じました。
ドラマとしては、素晴らしい仕上がりなんですけどね・・・。

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