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歴史小説 「黒田家三代~戦国を駆け抜けた男達の野望」 読記

<平太郎独白録:性懲りもなく「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」告知>

歴史小説 「黒田家三代~戦国を駆け抜けた男達の野望」 読記_e0158128_0314633.jpg 昨年末に刊行された歴史小説「黒田家三代~戦国を駆け抜けた男達の野望」を読んだ。著者は、当ブログもリンクしていただいているブログ「平太郎独白録 親愛なるアッティクスへ」のブログ主でもあられる、池田平太郎氏。同氏にとっては3作目の作品となる。一昨年よりブログを楽しませていただいていて、この度の出版を知り、歴史小説好きの私としては迷わず購入し、先日完読した。で、身の程知らずにも、著者の目に触れるであろうことを承知の上で、ここで感想文を記すという暴挙にでようと思う。

 黒田家とは、ご承知のとおり、筑前福岡藩52万石の領主で、江戸時代の265年を通して12代続いた名家。物語では、同家の創成期である戦国時代を舞台に、初代・黒田官兵衛、二代目・黒田長政、三代目・黒田忠之を軸に展開する。

 黒田官兵衛孝高。出家後の号は如水。播磨国は姫路の豪族、小寺氏の筆頭家老の家に生まれた官兵衛は、織田信長が天下に勢力を伸ばしつつあった当時、毛利氏征伐を命じられた羽柴秀吉のもとに仕え、その才覚を見出された。一時は、信長に叛旗を翻した荒木村重の手によって摂津有岡城内に1年以上も幽閉されるという挫折を味わうが、九死に一生を得た官兵衛は、その後、秀吉の頭脳として数々の功績をあげ、信長の死後は、秀吉の天下統一に向けて重要な役割を果たし、早世した竹中半兵衛と並び、秀吉の名参謀としてその名を残した。しかし、天下人となった秀吉は、官兵衛の智謀・謀才を恐れ始め、貢献に見合った報酬を与えようとしなかった。秀吉から警戒されていることを敏感に察知した官兵衛は隠居を申し出、出家して如水と号す。だが、隠居はしたが領国に引っ込むことは許されず、秀吉の側に仕え続けた。

 黒田吉兵衛長政。幼名は松寿丸。官兵衛の嫡男として播磨国で生まれた長政は、幼少時代を織田家の人質として羽柴秀吉の居城・近江長浜城で過ごす。上記、荒木村重の謀反によって父・官兵衛が幽閉されたとき、「官兵衛が裏切った。」と勘違いした織田信長は、秀吉に長政(当時は松寿丸)の殺害を命じる。しかし、官兵衛を信じていた秀吉と相談した竹中半兵衛の機転によって美濃菩提山城に匿われ、一命を助けられた。信長の死後、父と共に秀吉配下に入った長政は、智謀・謀才の父とは違い、勇猛な武人として頭角を現し、官兵衛より家督を譲られ、豊前中津12万3千石の大名となる。しかし、秀吉が没すると一転して策士としての才を現し徳川家康に接近。関ヶ原の戦いに際しては、豊臣恩顧の大名の切り崩し工作に貢献し、その功あって戦後、家康より筑前国52万石を賜り、福岡藩初代藩主となった。物語では、父・官兵衛の重臣で兄弟子とも言うべき、後藤又兵衛との確執が描かれる。

 黒田忠之。幼名は万徳丸。長政の嫡男として福岡で生まれた忠之は、父の死去により家督を継ぎ、筑前福岡藩第2代藩主となる。天下泰平の世に生まれ、祖父や父の苦労を知らずに育った忠之は、我がままで愚鈍な、典型的ドラ息子だったとして伝わる。父である長政も忠之の甘さを心配して、一時は廃嫡して三男の長興を後継者にすることも検討したが、家老の栗山大膳の助言により結局は2代目藩主になった。長政は死を目前にして、「大膳の言葉を自分の言葉だと思って従うように」と遺言したものの、家督を受け継いだ忠之は大膳を始めとする口うるさい古参の重臣たちを敬遠し、やがてそれが「黒田騒動」という黒田家改易の危機にまで発展する。しかし、この物語の中で著者は、この忠之暗愚説に疑問を呈している。

 黒田官兵衛黒田長政黒田忠之の3世代を描いたこの物語は、従来の戦国物に見られるような戦場の描写は少なく、3世代それぞれの時代の、お家経営の奮闘を軸に描かれている。片田舎の個人商店から身を起こして上場企業に成長するまでのプロセス、下請け企業ゆえ石高を過少申告して実利を得ることができた官兵衛の時代、成長したがゆえ石高を水増しして粉飾決算しなければならなかった長政の時代、そのツケをまわされて大幅リストラに踏み切らねばならなかった忠之の時代と、それぞれの立場でのお家経営者としての苦悩がわかりやすく描かれていて、実に面白い。

 その他、後継者選びにおける世襲制の利や、世襲後継者と優秀な番頭との確執、経営者と技術者(武闘派の家臣)の方向性の違いなど、どれをとってみても、現代の企業経営と変わらない姿がそこにはある。昨年ベストセラーとなった「もしドラ」ではないが、この物語も、戦国時代の藩経営を通してみる、良質のビジネス読本といっても差し支えないかもしれない。

 私が日本史を愛し、歴史小説を好んで読む理由は、現代の私たちの生きるヒントがそこに隠されているような気がするからである。日本の歴史を知ることは、日本人を知ることでもあり、ひいては自分を知ることにもつながる。先人たちの人生の中には、私たちが今、直面している問題や、今後迎えるかもしれない課題が、克明に描かれているような、そんな気がするからである。書店に足を運べば、ビジネスの手引書や意識改革・自己啓発の読本、人生のハウツー本などが数多く並んでいるが、私にとってはその類の本を読むよりも、歴史小説を読んで先人たちの足跡から学び得ることのほうが、はるかに大きいと思えるのである。

 そんな私のニーズに見事に答えてくれた、この作品だった。それは、著者の歴史に向き合う主眼が、おこがましくも私と近いところにあるような、そんなふうに思えたからである。文章も平易でわかりやすく、歴史小説に慣れていない人でも抵抗なく入れそうだ。是非、ご一読あれ。


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by sakanoueno-kumo | 2011-02-09 00:27 | 歴史考察 | Trackback(3) | Comments(15)  

Tracked from 平太郎独白録 親愛なるア.. at 2011-02-09 20:18
タイトル : 拙著増刷決定!心より御礼申し上げます!
親愛なるアッティクスへ 昨年末に、性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之の黒田家三代の葛藤と相克を描いた (←)「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」 を出版したと申し上げました。 さらに、その舌の根も乾かぬうちの今年1月下旬、道楽ついでとばかりに、関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた処女作、「傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯」を、(←)「毛利輝元  傾国の烙印を押された男」 として復刻再出版致...... more
Tracked from 多比人の三顧の礼 at 2011-02-09 22:26
タイトル : 明智光秀の3日天下
そもそも本能寺の変は用意周到な計画のもとになされたものではなく、突発性の事件だったのではないか、といわれています。その証拠のひとつに、二条城にいた信長の嫡男信忠に、当初明智軍は軍勢を差し向けておらず、信忠がまず生き延びる道を選んでいれば、京都の現場をはなれ、安土城へ退去する余裕はあった、といわれています。もしかりに、信忠が存命であれば秀吉の天下も、家康の江戸幕府もなかったでしょうし、お江もドラマの主人公になりえなかったのではないでしょうか。 すでに、織田家の家督は信忠が譲り受けていましたので、天下統...... more
Tracked from 琉三ガレージ~Life .. at 2011-02-18 21:30
タイトル : 【己を貫くとは】池波正太郎:武士の紋章
下記に上げる歴史上の人物の生き様を描いてます。 ・黒田如水・滝川三九郎・真田信之・真田幸村・中山安兵衛・永倉新八・三根山・牧野富太郎 戦国時代から昭和初期まで色んな方の人生です。 いずれも自分自身を信じ、そして己の信じた道を貫いた武士(おとこ)をカッコよく描いてます。 武士(おとこ)の紋章... more
Commented at 2011-02-09 15:36
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-02-09 18:22
<非公開コメントさん。
コメントありがとうございます。
Commented by heitaroh at 2011-02-09 20:19
たびたび、すみません。
そう思ったのですが、貴兄にご紹介頂いたその日に、増刷が決定しましたので、これも何かのご縁と思い、厚かましくもTBさせていただきます。

あなたは福の神です(笑)。
Commented by v19690802 at 2011-02-09 21:18
TBありがとうございます。黒田長政は、竹中半兵衛と秀吉に命を救われたんですよねー。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-02-10 09:30
< heitarohさん。
増刷決定ですか!
スゴイじゃないですか!!!
やっぱ、それだけ出版を待ち望んでいた人がたくさんいたのでしょう。

こうなったら、後は大河ドラマ化ですね(笑)。
いや、マジで!
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-02-10 09:41
< v19690802さん。
コメントありがとうございます。

そうですね。
後年、恩義を感じた長政は、関ヶ原の戦いのとき、竹中重門(竹中半兵衛の嫡男)や竹中重利(半兵衛の従兄弟)を西軍から東軍に寝返らせて、共に戦いました。
さらに後年、半兵衛の孫・重次を頼んで召し抱えたといいます。

長政と半兵衛のエピソードは、弱肉強食の戦国時代における、ちょっと“いい話”ですね。
Commented by marquetry at 2011-02-10 20:15
先月、ドラマで見たばっかり...ドラマでは、牢獄後足を不自由になり杖をついていました。...たまたま見たドラマででしたが、しっかり最後まで見てしまった程、印象的でした。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-02-11 00:40
< marquetryさん。
ドラマって、正月にあった時代劇スペシャルですね。
私も観ようと思って録画してるんですが、なかなかその時間がとれず、未だHDDの中に残ったままです(たしか4時間とかあったでしょ)。

そう、官兵衛は長い投獄生活で足が曲がったまま立てなくなり、髪の毛も抜けてしまいました。
彼は、この時代の人物でいえば、信長、秀吉、家康にも匹敵する才知の持ち主で、天下をとっていてもおかしくなかった人物だと思います。
しかし、三人の英雄との決定的な違いは、天運を見方にできなかったというところでしょう。
運も実力のうち、という意味で考えれば、三人の器ではなかったのかもしれませんが・・・。
Commented by marquetry at 2011-02-11 02:06
天下を取れなかった事を天運が無かった...とするなら、そうかも知れません。でも、官兵衛は代々長く続く事が出来たわけですよね?民を大事にされたと聞きます。...4時間の長い物語の中で、私は、天下を取る事を心に保ちながら、それと天秤に奥さんや家族や民を大事にする事を選択した...それを必要な犠牲としなかった...と言う違いがあったように感じます。戦わずして、天下を統治する事を理想として選択したのでは?と。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-02-12 02:55
< marquetryさん。
今夜思い立って、録画していたドラマを観始めたのですが、4時間と思っていたら6時間もあるようで、半分しか観れませんでした(笑)。
前半は主に竹中半兵衛の物語で、まだ官兵衛の話はまだですが、ここまで観ての感想を少しだけ・・・。

戦国時代のドラマでよく使われる“天下泰平の為の戦”という言葉。
“戦のない世の中を作るための戦”とも。
この時代の武将たちに、そういった概念があったのかはわかりませんが、仮にそうであったとして、結局それも戦であることに変わりはないわけで・・・。
アジアの平和をうたって起こした日中戦争然り、湾岸戦争、イラク戦争、400年経った今も変わりません。
平和のための戦争なんて、所詮は詭弁ですよね。
人間にとって争いは本能といってもいい、つくづく愚かな生き物だなあと・・・。
つづく・・・。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-02-12 02:56
< marquetryさん。
つづき
黒田官兵衛という人は、物語によって律義者に描かれたり、野心家に描かれたりと様々ですが、秀吉が官兵衛を恐れたという逸話が本当ならば、少なからずそういう野心を持っていた人物だと私は思います。
その一端は、秀吉の死後、関ヶ原の戦い時の彼の行動から垣間見れます・・・が、長くなるので、またいずれ本稿にて(苦笑)。

貴ブログを覗いたら、今夜放送していた「沈まぬ太陽」の感想を起稿されていましたね。
私は録画してまだ観ていないので、観てから読むことにします。
でも、この官兵衛のドラマの続きも観なきゃならないし・・・(汗)。
あ~!!時間が欲しい!!!(笑)。
Commented by marquetry at 2011-02-12 23:14
どちらも、じっくり見たいモノばかり...時間がある時に、じっくり見られたら如何でしょうか?無理して体力を奪われたら、インフルエンザの餌食になりますよ〜。ご用心です。...ちなみに、野心家だと私も感じました。それと、戦争は避けられないものなのかも知れませんが、愚か故といってしまうのは酷かも知れません。発端はやはり守りたい物の為に始まる物の様な気がしますので...それが、いつのまにか欲に変わることになるのかも知れませんが...。私は、関係ない者にまで先導したり強制するところが、フツフツする部分です。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-02-13 01:24
< marquetryさん。
官兵衛のドラマ、先ほど観終えました。
後日、感想を起稿したいと思います。

“守りたいモノのため”というのはたしかにあるでしょうが、それは発端ではなく、あとから立てた大義名分、つまり、口実のように思います。
“守りたいモノのため”というと聞こえがいいですが、それは家族や故郷といった具体的なものよりも、最も守りたいものは、「武士の意地」・・・近年でいえば、「国家の意地」ではないでしょうか・・・。
ただ、“愚か”だとは言いましたが、“意地”を貫くことを否定しているわけではありません。
私もたぶん、事を目の前にしたら、“愚か”な人間のひとりでしょうから。
Commented by ryusunboar at 2011-02-18 21:29
signboardさん。
はじめまして。TBありがとうございます。
色々な本を読んでおられますね。
今後、読む本の参考にさせてもらおうと思います。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-02-18 23:11
< ryusunboarさん。
コメントありがとうございます。
歴史小説がお好きなのですね。
この作品も、機会があればぜひ読んでみてください。
お勧めです。

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