江~姫たちの戦国~ 第25話「愛の嵐」

 千利休の切腹、鶴松の死、朝鮮出兵へ始動、豊臣秀次の関白就任、お江豊臣秀勝の婚儀と、良くいえば盛りだくさんの内容、悪くいえば詰め込み感満載の今話。この天正19年(1591年)という年は、それほど豊臣秀吉にとって目まぐるしい1年だった。1月には最も信頼していた実弟・豊臣秀長を亡くし、2月には、これまた側近の補佐役だった千利休を自らの命によって切腹させ、その半年後の8月には愛息・鶴松を病で失うという、秀吉にとっては厄年のような年だった。

 千利休の切腹に関しては、前話の稿ですべて語ってしまったので、そちらをご一読いただきたい(参照:第24話「利休切腹」

 秀吉と淀殿の愛息・鶴松が死去したのは、天正19年(1591年)8月5日だったと伝わる。鶴松は生まれつき病弱だったといわれ、おそらく死因は病死だったと思われる。享年3歳。このときの秀吉の落胆ぶりは、筆舌に尽くし難いほど痛々しいものだったであろう。そもそも、50歳を過ぎても尚、子宝に恵まれなかった秀吉は、一度は実子を諦め、それゆえ多くの養子を迎え入れていた。そこに、正真正銘自身の血を引く男児が生まれたのである。秀吉が狂喜して即座に鶴松を後継者としたのは、自身の老い先を考えても当然のことだった。ただでさえ歳をとってからの子は可愛いといわれる。それが待望の第一子となれば(石松丸の件は別にして<参照:第22話「父母の肖像」>)、その溺愛ぶりは想像に余りある。そんな鶴松をわずか3歳で亡くしたのだから、そのショックは計り知れない。秀吉は死んだ鶴松のために、法名・祥雲院に因んだ祥雲寺を建て、剃髪し、木像を彫り、細川幽斎とともに亡き愛児を偲ぶ歌を幾つも作った。一般には、この悲しみを紛らわすために、無謀な朝鮮出兵に走ったといわれるほどである。秀吉は、鶴松の死の直後に肥前名護屋城を築き、着々と朝鮮出兵を始めとする外征に専念するようになった。

 この時代、5人中3人は成人することなく死んだといわれ、幼児の死は珍しい話でも何でもなく、鶴松の夭逝は、特に不幸な出来事というわけではなかったのだが、鶴松の死後に始まった「文禄の役」が、この翌々年の秀頼の誕生から和議に向かったことを思えば、鶴松という一人の幼児の死が、外征と内政に与えた影響は決して小さくない。鶴松の死は、豊臣家のみにとっての不幸ではなく、日本の不幸だったといえるかもしれない。

 鶴松の死の時点で55歳だった秀吉は、もはや実子は望めぬと考え、同年12月、甥の豊臣秀次を家督相続の後継者として養子に迎え入れ、関白職を譲った。そして自身は関白の父として太閤と呼ばれるようになる。しかし、そのことによってのちに秀次は、不幸な道を辿ることになる。たった3年間の短い生涯だった鶴松。3年間しか生きていない彼が、歴史上に何かを残したということは当然ないが、彼が生まれたことによって歴史は大きく動いた。たった3年間という短い生涯で、これほど歴史に大きく関わった人物は他にいないだろう。少々大袈裟にいえば、彼はそのために生まれてきたのかもしれない。そう考えれば、人の人生というものは長さではない・・・と、つくづく感じさせられる。

 お江豊臣秀勝の結婚の時期は、鶴松の死後の文禄元年(1592年)という説と、天正14年(1586年)という説があるらしい。前述の説でいえば、同年3月には第一次朝鮮出兵が始まり、秀勝も8千人の将兵を率いて出陣しているので、二人の新婚生活は1ヵ月ほどだったということになる。後述の説でいえば、お江は前夫の佐治一成離縁させられた直後のこととなるが、秀勝が秀吉の養子となった年でもあり、二人の間に女児が生まれていることを思えば、たった1ヵ月の夫婦生活より、6年間連れ添ったと考えるほうが、自然だと思うのだが、いかがなものだろう(といっても、お江が女児を出産したのは、秀勝の死の前後といわれ、文禄元年説でも一応はつじつまが合うのだが)。むしろ、佐治一成と離縁してから8年間も、秀吉がお江を放っておいたというほうが不自然なように思うのだが・・・。

 ドラマでは、文禄元年説をとっている。となれば、1度目の結婚生活と同じく短い結婚生活で終わることになる。しかも今回は、1度目以上に辛い終焉となる。


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by sakanoueno-kumo | 2011-07-04 02:50 | 江~姫たちの戦国~ | Trackback(1) | Comments(4)  

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Tracked from ショコラの日記帳 at 2011-07-04 09:49
タイトル : 【江】第25回と視聴率「愛の嵐」
【第25回の視聴率は、7/4(月)追加予定】利休の所へ、変装して秀勝と共に江が会いに行ったのは、予想外に結構、良かったです♪でも、利休が切腹した回に江の祝言なんて、なんか不吉...... more
Commented by 野球大好き!読売大好き!ジャイ at 2011-07-05 11:52 x
歴史は詳しい方ではありませんが、興味深く拝見しました。
今までは上っ面の歴史しかしりませんでしたが、ここまで詳細に記されていると、もっともっと深く知りたくなりました。過去記事も拝見させていただきます!更新を楽しみにしております。
歴史が好きになりそうな予感です^^
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-07-05 14:13
< 野球大好き!読売大好き!ジャイさん
過分なお言葉ありがとうございます。
素人の稚文ですが、そういっていただけると励みになります。

ちなみに、私は熱烈なトラキチでアンチ巨人なんですが、それでもよければ、いつでもコメントお待ちしております(笑)。
Commented by AKKO at 2011-07-09 11:57 x
始めまして。
江の結婚の時期私も6年前だと思います。
ttp://blog.livedoor.jp/kinginsango/archives/2880254.html
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-07-09 22:45
< AKKOさん。
はじめまして。
コメントありがとうございます。

そうですよね。
天正14年(1586年)説なら、秀勝が秀吉の養子となった年でもあり、信長の姪を娶らせることで箔をつけたと考えられますしね。
ドラマとしては、文禄元年(1592年)説の方が悲劇として作りやすいのかもしれませんが・・・。
貴ブログも後ほどゆっくり読ませてもらいます。

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