江~姫たちの戦国~ 第40話「親の心」

 徳川秀忠・お江夫妻の長男である竹千代こと徳川家光は慶長9年(1604年)生まれ、次男の国松こと徳川忠長は、慶長11年(1606年)生まれの2歳違いの兄弟で、お江にとっては32歳、34歳での出産だった。文禄4年(1595年)に秀忠のもとへ輿入れしてから、長女・千姫、次女・珠姫、三女・勝姫、に四女・初姫と、なかなか男子に恵まれなかったお江にとっては、家光は9年目にして授かった待望の男子だったはずであり、大切な後継ぎとなるはずであった。

 ところが、どういうわけかお江夫妻は、長男の家光よりも次男の忠長を可愛がったという逸話が残っている。江戸幕府の正史である『徳川実紀』の付録巻一には、
「御弟国千代の方は御幼稚並にこえて、聡敏にわたらせ給へば、御母君、崇源院殿にはこと更御錘愈ありて・・・」
などと記されている。国千代とは国松のことで、崇源院とはお江の法名、これによれば、お江は次男の忠長が幼少時から聡明であったため、ことさら溺愛したというのである。一方で、上記の分の少し後には、幼少時代の家光に関して、
「公御幼稚の頃はいと小心におはして、温和のみ見え給ひしが・・・」
と記されている。家光は幼少の頃は小心で温和だけが取り柄であったため、秀忠・お江夫妻は家光に期待しなかったのだろうか。とくに、二度の落城と三度の結婚を経験し、戦国の動乱期を生き抜いてきたお江にとっては、後継者の大切さは秀忠以上に知り抜いていたかもしれず、幼少時から聡明であった忠長に期待したのは当然のことだったのかもしれない。

 また、上記引用文の少し前には、秀忠の父、家光の内祖父である徳川家康が家光を可愛がり、家光も家康に懐いていたという意味の記述がある。あるいは、お江、さらに秀忠は、家康への対抗心から家光ではなく、忠長を溺愛したのかもしれない。やがて、その空気を察した大名・旗本たちが、相次いで忠長に接近するようになったという。竹千代こと幼い家光は、弟が父母の愛情を一身に受けていることに、心を打ちひしがれたに違いない。そんなこともあってか、乳母であるお福こと春日局を、父母以上に慕った。

 ドラマで、春日局が家光を後継ぎに裁定するよう家康に直訴するシーンがあったが、この話は家光死後の貞享3年(1686年)に成立した『春日局略譜』に記されている逸話である。これによれば、秀忠・お江夫妻が忠長を後継者に考えていると察した大名、旗本がこぞって忠長に接近しようとしていた中、幕閣・永井直清だけは家光に忠勤を励んでおり、まずはその父・永井直勝に相談して事態の打開を図ろうとした。ところが、直勝に事態の静観を主張され、思い余った春日局は、すぐさま伊勢神宮へ参詣すると称して西へ向かい、駿河駿府城にいた家康のもとへ駆け込み、秀忠・お江夫妻の動向を伝えて家光の世子としての地位を確認して欲しいと訴えた、と伝わる。

 この春日局の直訴が効いたのかどうか、その後しばらくして、家康の裁定によって世継ぎは家光に確定する。理由は、「嫡子である竹千代を廃し、次男の国松を立てるのは、天下の乱れの原因となる」とのこと。この時代の後継ぎは、必ずしも長男が継ぐとは決まっておらず、ましてや戦国動乱の最中は、有能な主君でなければ家臣が着いてこず、実力で後継者を決めるのが当然であった。ところが家康は、竹千代と国松の後継者争いを長幼の序という形でけりをつけた。これは、戦国動乱の時代の終わりを告げると共に、こののちお家騒動が生じないための策だったとも言われる。ただ、それもこれも、家光より忠長のほうが聡明だったという伝承が正しかったとしてのことではあるが・・・。

 家光を後継ぎに決めるに際して、家康はわざわざお江に書状を送って諭している。この書状は、家光の忠長に対する嫡男としての優位性は絶対であることを、きつく戒めるものだったという。興味深いのは、この訓戒状が秀忠宛てではなくお江宛てであったこと。このことから想像するに、忠長に固執していたのはお江のほうで、秀忠は姉さん女房のお江に追従するかたちで忠長に期待していたのだろう。こんな逸話が残っていることからも、お江はかなり豪胆な一面を持った女性であったことがわかり、秀忠が尻に敷かれていたという説が伝わるのも、無理からぬことである。

病に倒れた大姥局と、見舞いに来た家康とお会話。
大姥局 「若様と一度ゆっくりと話し合われて下さいませ。」
家康  「あやつは、わしに心を開かぬでな・・・。」
大姥局 「それは若様おひとりのせいだと・・・? 大殿様の御心が引いているゆえ、若様がお心を開かれぬのです。親に打ち消されるとわかっていて尚、心を開いて話す子がおりましょうや・・・。」
 この大姥局の台詞は、息子を持つ父親としては身につまされた。たしかにその通りである。親は、当然ながら息子より長く生きており、その分経験も豊富で、答えを知っている。だから、ついつい答え合わせの計算式を息子に求めようとし、違う方法で答えを探そうとする息子に、自分の知っている計算式を教えようとしてしまう。しかし、それは息子の思考を打ち消している行為であり、親の意見が正しければ正しいほど、息子は自分の考えを話さなくなり、自分の思考を持たなくなるかもしれない。そんなことを考えさせられた台詞だった。どんなに愚論であっても、まずは耳を傾ける。そして、決して否定はしない。これ、父子関係のみならず、上司と部下の関係にも言えるかもしれない。


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by sakanoueno-kumo | 2011-10-17 03:21 | 江~姫たちの戦国~ | Trackback(3) | Comments(2)  

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Commented by SPIRIT(スピリット) at 2011-10-19 18:48 x
家康は諸大名の領地争いから勃発した応仁の乱の教訓から、長子単独相続を決めたみたいですが、これが事実ならなかなかの切れ者でしょう。(まあ、これが御三家や御三卿の誕生にも結びついたわけですが。)

家光と忠長、どちらが有能だったかはわかりません。家光は歯が生えてからも春日局の乳を吸っていたなど、奇行が伝わっていますし、忠長も暗君といわれ、のちに所領没収になりますし。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-10-20 00:20
< SPIRIT(スピリット)さん。
家康は鎌倉幕府の正史『吾妻鑑』を読んで、豊臣家を攻め滅ぼす決心をしたなどという逸話もあるように、歴史を学び、そこから教訓を得ることを常套手段としていたようですね。
信長や秀吉のような、前例のない天才肌の着眼点を自分は持たないということを、自身が一番よくわかっていたのかもしれません。

家光の幼少時代の奇行話は、どれも信憑性のないものばかりですし、晩年の忠長の暗君ぶりの伝承も、改易後に流布された風説が多いようです。
お江が忠長を溺愛していたのは事実のようですが、どちらが有能だったかはわかりませんね。
ただ、のちの家光の保科正之に対する可愛がり方を思えば、家光が忠長に激しい憎悪を抱いていたことは想像に難しくありません。
それが、実母が忠長を溺愛していたことによる幼少期の嫉妬心からくるものだとしたら、お江も罪な女性ですよね。

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