坂の上の雲 総括

 3年に渡って放送されたNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の全話が終了した。先日第3部のまとめを起稿したが、最後に改めてこの作品全体を通した総括をしてみたいと思う。

 司馬遼太郎氏の作品といえば、『竜馬がゆく』『功名が辻』『国盗り物語』『新選組血風録』『燃えよ剣』など、映画やテレビドラマになった作品は数多く、映画は11作、ドラマは13作もある。このうち、『竜馬』はドラマ4回、『功名』はドラマ3回、『国盗り』はドラマ2回、『新選組』はドラマ2回と映画1回。そんな中、単行本・文庫本の発行部数でいえば『竜馬』の次に多い『坂の上の雲』は、連載終了から三十数年間、映画にもドラマにもなっていなかった。それは、作者自身が終生映像化を拒み続けていたからである。その理由は「ミリタリズム(軍国主義)を鼓吹しているように誤解される」というものであった。

 それが、司馬氏逝去から13年経った2009年、NHKスペシャルドラマとして放送されることになった。しかも、3年間に渡る全13話のロングランで、制作費も通常の大河ドラマと比べても桁違いの規模だとか。破格の扱いである。ドラマ化が実現した経緯は、NHKの「総力を挙げて取り組みたい」との熱意と映像技術の発展により、作品のニュアンスを正しく理解できる映像化が可能となったとして1999年に司馬遼太郎記念財団が映像化を許諾。その後、著作権を相続した福田みどり夫人の許諾を得てドラマ化に至ったとのこと。司馬氏が映像化を拒んでいたもう一つの理由に、「作品のスケールを描き切れない」というものがあり、それは現在の映像技術なら、破格の制作費さえかければクリアできる。そんな理由もあって、通常の大河ドラマの枠ではなく、スペシャルドラマという設定になったのだろう。司馬氏の意向に逆らったかたちではあるが、『坂の上の雲』を映像で観ることができるというのは、司馬遼太郎ファンの私としては嬉しい限りであった。

 ただ、今なぜ『坂の上の雲』なのか、という疑問はあった。この作品が執筆、連載されたのは昭和43年(1968年)から47年(1972年)にかけての約4年間で、それまでの約5年間を準備にかけたという。その時代、日本は高度経済成長期の後期で、最長好況を誇った「いざなぎ景気」とぴったり重なり、そんな中、坂をひたすら上り続けた明治人の物語は、太平洋戦争後の高度経済成長を担った「企業戦士」たちの姿と重なり、とくにサラリーマンを中心にこの作品は支持された。

 しかし、それから40年近く経ち時代背景は変わった。高度経済成長期から約20年後にバブル経済が崩壊し、平成の世は長い不況との戦いである。失業率は下がらず、毎年3万人もの自殺者があとを絶たず、少子高齢化が進み、年金問題など昭和の時代に見て見ぬふりをしてきたツケが今、国民に重くのしかかってきている。昭和のサラリーマンたちが、『坂の上の雲』』に出てくる明治人たちの姿を自分たちに置き換えて希望を持った時代とは、ずいぶんと観る側の立場が違ってしまっている。

 世界の戦争に対する価値観も変わった。『坂の上の雲』が執筆されたのは東西冷戦の時代。その後、旧ソ連の崩壊と「冷戦」の終結という激動を経て、「一国覇権主義」となったアメリカがイラク戦争をめぐってヨーロッパの同盟国からさえ孤立し、北朝鮮問題での「六カ国協議」など、国際秩序の考え方も変わってきつつある。そんな中で、100年以上前の戦争での日本人の「優れた能力」を誇りのように肯定的に描いた作品を、今になって映像化するのは、時代錯誤といえるような気がして、1年前の第2部のまとめの稿でもそのように述べた(参照:第2部まとめ)。

 しかし、今年最後まで観終えて、また思いが変わった。やはりこのドラマは、今必要な作品だと思った。今年、我が国では未曾有の大災害が起きた。菅直人前総理の言葉を借りれば、戦後最大の国難だという。これ以上の国難といえば、歴史の上でみれば戦争しかないだろう。まさしく、日露戦争は維新後、近代国家となった日本にとって最大の国難だった。その国難を乗り越えるため、この物語に出てくる明治人たちは心血を注ぐ。戦争を回避するためロシアと手を結ぼうとした伊藤博文、日露戦争はいずれ避けられないと考えて日英同盟を締結させた小村寿太郎、考え方は違えど、いずれも日本を守りたいという思いに違いはなく、そこに私利私欲など微塵も感じられない。ロシアで諜報活動を行った明石元二郎、アメリカで広報外交を行った金子堅太郎、資金集めに尽力した高橋是清もまた然りである。軍人でいえば、現職の国務大臣の地位にありながら、自ら参謀本部次長に異例の職階降下をしたという児玉源太郎などは、その最たる人物である。政治家官僚軍人も皆、日本が潰れるかもしれないという危機感と、日本を守らなければならないという使命感のみで働いた。

 平成の現代はどうだろう。これほどの災害に見舞われながら、なおも政局ありきでしか物事を考えられない低レベルの政治家や、自分たちの都合でしか動こうとしない官僚、いずれも、一国の指導者という立場として、明治の彼らとは雲泥の差である。そういう私たち国民も、日本が潰れるかもしれないという危機感を持って生きているかといえば、そこまで深刻に考えてはいない。「税金払ってるんだから、国が何とかしてくれよ」的な無責任さがある。旅順要塞の前に屍となっていった明治の国民とは大違いである。

 明治の日本は「まことに小さな国」だった。その小さな国の指導者たちは、自分たちが日本を動かしているという実感が強かっただろう。いってみれば、創業間もない中小企業のようなものである。彼らは、この中小企業を潰さないため、大企業たちと肩を並べるため、血眼になって働いた。平成の日本は・・・まさしく上場した大企業。安定と安心の中にいる。だから、自分ひとりの働きがこの国を支えているという実感に乏しく、ひとたび経営が悪化しても、国難という自覚がない。いってみれば、潰れかけて税金で援助してもらっているにも関わらず、ボーナスカットを受けて見当違いなストライキをやるJALの社員や、あれだけの事故を起こしておきながら経営体質の改善をはかろうとしない東京電力のようなものである。現代の日本に生きる私たちは、徴兵されることもなければ、戦争に巻き込まれることもまずない。それは本当に幸せなことだ。しかし一方で、日本のために何かをするといった機会もなく、自分たちが「国家」に参加した「国民」であるという意識も薄い。はたして、どちらが幸せなのだろうと思ったりする。

 とはいえ、戦争を容認する気は毛頭ないし、徴兵なんて、まっぴら御免だ。ただ、戦後最大の国難という大災害が起きた今年、この日露戦争という明治の国難に毅然と立ち向かった当時の人たちの物語を見て、今私たちは何かを感じ取らなければならないような気はした。日本は日露戦争に勝った。勝ったことで、日本はロシアの植民地にならずにすんだ。彼らはまぎれもなく日本を守った。しかし、この戦争に勝ったことで、のちに日本は間違った方向へ進み始めた。これもまた、歴史の示すとおりである。そのあたりについて、司馬氏はあとがきの中でこう述べている。
 「要するにロシアはみずからに敗けたところが多く、日本はそのすぐれた計画性と敵軍のそのような事情(指揮系統の混乱、高級指揮官同士の相剋、ロシア革命の進行など)のためにきわどい勝利をひろいつづけたというのが、日露戦争であろう。
 戦後の日本は、この冷厳な相対関係を国民に教えようとせず、国民もそれを知ろうとはしなかった。むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、その部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境として日本人の国民的理性が大きく後退して狂躁の昭和期に入る。やがて国家と国民が狂いだして太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、日露戦争後わずか四十年のちのことである。敗戦が国民に理性をあたえ、勝利が国民を狂気にするとすれば、長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などというものはまことに不可思議なものである。」


 『坂の上の雲』は決して戦勝に酔いしれる物語でも、戦争賛美の物語でもなく、まだ工業も十分に発達していない貧乏な「百姓国家」が、西欧の大国と対等に渡り歩くため、懸命に背伸びをして生きていた、そんな明治の日本と日本人の物語である。司馬氏はそれを「日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語」だという。最後に、単行本1巻のあとがきの文章で、最終回の終盤にもナレーションで語られていた司馬氏の言葉で締めくくりたい。この言葉こそが、この物語全てを集約していると思えるからである。

 「維新後、日露戦争までという三十年あまりは、文化史的にも精神史の上からでも、ながい日本歴史のなかでじつに特異である。これほど楽天的な時代はない。むろん、見方によってはそうではない。庶民は重税にあえぎ、国権はあくまで重く民権はあくまで軽く、足尾の鉱毒事件があり女工哀史があり小作争議がありで、そのような被害意識のなかからみればこれほど暗い時代はないであろう。しかし、被害意識でのみみることが庶民の歴史ではない。明治はよかったという。その時代に世を送った職人や農夫や教師などの多くが、そういっていたのを、私どもは少年のころにきいている。『降る雪や明治は遠くなりにけり』という中村草田男の澄みきった色彩世界がもつ明治が、一方にはある。この物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。」

 3年間、良いものを観せていただきありがとうございました。

●全レビューの主要参考書籍
『坂の上の雲』 司馬遼太郎
『司馬遼太郎『坂の上の雲』なぜ映像化を拒んだか』 牧俊太郎
『坂の上の雲と司馬史観』 中村政則
『日本の歴史21~近代国家の出発 』 色川大吉



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by sakanoueno-kumo | 2011-12-31 04:59 | 坂の上の雲 | Trackback(1) | Comments(2)  

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Tracked from 早乙女乱子とSPIRIT.. at 2011-12-31 14:29
タイトル : 明治のオプティミズム 〜坂の上の雲・日本海海戦〜
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Commented by 一大河 at 2012-01-03 19:32 x
はじめまして。
自称・大河ドラマ批評家を標榜しております。
一大河と申します。


『坂の上の雲』、身も心も震えました。
このような映像作品に出会えたこと、感無量でした。

この作品をとおして、単に明治という国家への憧憬で
終わらせるのではなく、何か現代に通ずるものを
発見し、何か一つでも自分の中に落としこんでいこうと
思う次第です。
Commented by sakanoueno-kumo at 2012-01-04 01:13
< 一大河さん。
はじめまして。
コメントありがとうございます。

おっしゃるとおり、『坂の上の雲』は素晴らしいドラマでしたね。
原作小説のファンだった人も、このドラマで初めてこの物語を知った人も、どちらも大満足出来たんじゃないでしょうか。

>何か現代に通ずるものを発見し、何か一つでも自分の中に落としこんでいこうと思う

そうですね。
ていうか、それこそが歴史小説やドラマを観る上での醍醐味なんじゃないでしょうか。
人生のハウツー本や自己啓発の本などを読むよりも、歴史上に実在した先人たちの物語の中に、私たちの生きるヒントが多く隠されているような、そんな思いで私は好んで歴史小説やドラマを見ています。

今後ともよろしくお願いします。

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