平清盛 第1話「ふたりの父」

 平清盛は永久6年(元永元年)(1118年)に生まれた。平家が日の出の勢いで力を伸ばしていたときである。清盛の祖父、平正盛は、白河法皇(第72代天皇)の北面の武士(法皇の身辺を守る武士のことで、院御所の北側の部屋に詰めている武士のこと)として武力で法皇に仕えるとともに、数カ国の受領(国守)を歴任し、清盛出生当時は西国の大国である肥前守を務めていた。受領は税の徴収を行うため、やり方によっては莫大な収入を得ることができる。清盛は富裕な貴族の跡取りとして、比較的恵まれた環境で育ったようである。

 清盛の出生については、古くから清盛は白河法皇のご落胤だったという説がある。『平家物語』「祇園女御」の巻に、次のような話がある。白河法皇が寵愛する女性に祇園女御と呼ばれる女性がいた。彼女は正式な女御ではなかったが、法皇のあまりの寵愛ぶりからそう呼ばれていた。白河法皇がいつものようにこの女性のもとへ通っていたある夜、女御の邸の近くで不気味な光を発する鬼のようなものに出くわした。驚いた法皇は、北面の武士として警護にあたっていた平忠盛「あの鬼を成敗せよ」と命じた。忠盛は、鬼というのはおそらく法皇の見間違いであろうと考え、即座に弓を引かずに近づいて確認したところ、鬼と見えたのは麦わらをかぶり明りを手にした老法師だった。それを知った白河法皇は「あの者を殺してしまっていたらどれほど後悔したであろう。弓矢取る身(武士)とは感心なものよ」と、忠盛の沈着冷静な行動を褒めて、寵愛の深い祇園女御を忠盛の妻に与えたという。このとき彼女の腹には法皇の皇子が宿っており、それこそが、ほかならぬ清盛だったというのである。

 ご落胤伝説というと、たいていは根も葉もない噂話にすぎないものが多いが、清盛の場合は少し事情が違う。というのも、現在でもこのご落胤説を指示している歴史学者の方々が、数多くおられるのである。清盛の尋常でない出世のスピードを見ると、天皇家の血筋でなければ説明がつかないというのである。清盛は大治4年(1129年)、12歳という異例の若さで従五位下・左兵衛佐に任官を果たし、その2年後に従五位上、その4年後には正五位下、従四位下、その翌年には中務大輔、さらにその翌年には肥後守、その3年後には従四位上と、超スピード出世を重ねた。これは、当時の慣例からして、天皇家との血縁関係なくしては考えられないといわれている。もちろん、血縁関係のことだけに断言できる証拠はない。あるいは、清盛の異例の出世への妬みやっかみの噂話として、このご落胤説が生まれたのかもしれない。しかし、武士の子である清盛の順調な出世は、当時の公家たちを大いに驚かせる人事だったことは事実のようで、その真偽はともかく、清盛は皇胤であるという噂話が当時の貴族の間にあったというのも、間違いなさそうである。もし、この説が事実だったとすれば、清盛にとってそれは“誇り”だっただろうか。それとも、“恥”と感じただろうか。高貴な天皇家の血筋と現実の武士としての境遇のギャップに、きっと悩んだことだろう。

 では、清盛の生母はどのような女性だったのだろうか。保安元年(1120年)、忠盛の妻が亡くなっている。清盛3歳のときである。年齢から考えて、この女性が清盛の母であることは間違いなさそうである。どのような女性だったかは分かっていない。唯一伝わっているのは、白河院の身辺に仕えていた女房だったということだけだそうである。『平家物語』にみる清盛の生母が祇園女御であるという説は、彼女は保安元年以降も生き続けているので間違いのようである。では、祇園女御が清盛とまったく関係なかったかといえば、そうともいえない。清盛の生母は、祇園女御の実妹であったという説があるのだ。これは『仏舎利相承系図』という史料を根拠とする説で、これによれば、祇園女御の妹が白河院の子を身ごもり、忠盛に嫁いだ後に生まれたのが清盛であり、その女性の死後、清盛は祇園女御の猶子となり、彼女の後見を受けていたという。こちらは、あながち否定できない面もある。正盛・忠盛父子は白河院に仕える一方で、その寵姫である祇園女御にも奉仕しており、清盛が生まれる何年も前から、平家と祇園女御は密接な間柄にあった。そんな祇園女御の妹を妻としてもらい受け、その妹の死後、その子を猶子として祇園女御が後見していたとしても、何ら不思議ではない。幼少期の清盛の出世は、祇園女御の引き立てによるところも大きかったかもしれない。

 ドラマでの清盛の生母は祇園女御でもその妹でもなく、祇園女御が妹のように可愛がっていた白拍子・舞子という設定。彼女は白河上皇の子を身ごもりながらも、陰陽師「王家に災いする赤子」というお告げの為、命を追われる身に。その舞子を匿ったのが忠盛だった。しかし、結局は上皇の知るところとなり、祇園女御の助命嘆願によって赤子の命は助けられるも、舞子は御所の警護兵の矢によって壮絶な死を遂げる。死の直前、舞子から赤子を託された忠盛は、その子を平太と名付け、平家の子として育てる決意をする。すべて、ドラマのオリジナルストーリーだが、白川院の人物像や当時の天皇家の位置づけ、忠盛たち当時の武士たちの立場がとてもよくわかるストーリーだった。

 「己にとって生きるとはいかなることか。それを見つけたとき、心の軸ができる。心の軸が体を支え、体の軸が心を支えるのだ。」
 忠盛が幼い平太(清盛)にいった言葉。清盛の父・忠盛は武力のみならず、和歌などにも造詣の深い教養人だったという。
「父上は強うござりまするな。私もなりとうございまする。父上のような立派な武士に。」
「では、その気持ちを、心の軸にせよ。その軸を支えられるよう、しっかり体を鍛えよ。」

 この時代、武士は天皇家に仕える番犬のような地位にすぎなかった。彼らの望みは、朝廷のために働き、あわよくば功をあげて恩賞を得ることでしかなかったのである。正盛も忠盛も、天下を取るなど考えたこともなかっただろう。武士たちが自分たちの実力に気づくには、もう少し、清盛の成長を待たねばならなかった。

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by sakanoueno-kumo | 2012-01-09 18:42 | 平清盛 | Comments(10)  

Commented by こんばんは♪ at 2012-01-09 20:59 x
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます♪(^^)
今年もよろしくお願いします♪(^^)

遂に、『平清盛』、始まりましたね♪
いろいろオリジナルもあるようですが、『江』より重厚でそれらしくて、良かったですね♪(^^)
早くも来週、松ケンに清盛が交代するようですが、どんな清盛になるのか、楽しみです♪(^^)
改めて、これからもよろしくお願いします♪(^^)

Commented by marquetry at 2012-01-09 21:23
み...みのがしてしまったぁ。
Commented by sakanoueno-kumo at 2012-01-09 22:02
< こんばんは♪ さん ていうかショコラさん。
あけましておめでとうございます。
第1話というのは、どのドラマも力を入れるものでしょうから、まだ評価するのは早いかもしれませんが、今年の大河は結構期待できそうですね。
久々に骨太な歴史ドラマが観れるかもしれません。
今年もよろしくお願いします。
Commented by sakanoueno-kumo at 2012-01-09 22:13
< marquetryさん。
まだ、土曜日の昼に再放送がありますよ!
札幌ではしないのかな?
めっちゃめちゃ面白かったですよ!
Commented by marquetry at 2012-01-11 21:06
ええ〜!そうなんですかぁ!早速録画しなきゃ!
Commented by sakanoueno-kumo at 2012-01-12 02:11
< marquetryさん。
中井貴一さんがカッコイイんですよ!
是非観てください・・・って、NHKから何ももらってないんですが(笑)。
Commented by しばやん at 2012-01-12 23:10 x
昨年の『江』は面白くなかったので、早い段階で見るのをやめてしまいましたが、今年は第1回から面白かったですね。俳優も脚本もなかなか良くて、私も今回はすごく期待しています。
韓流ドラマに刺激されてか、相当力が入っている印象を受けました。

この時代は知らないことが多いので、坂の上のヒゲおやじさんのブログを覗いて、いろいろ教えていただくことになりそうです。
Commented by heitaroh at 2012-01-13 13:36
私は清盛落胤説には少し否定的なのですが、最近ではどれもこれもこうなってますよね。
新・平家物語がそうなっているのであれば、今回はそれを踏襲するのではなく、もっと、違う見解でやって欲しかったと思いました。

清盛の出世には、父の代からの政商としての才腕が大きく貢献していたのではないでしょうか。
もし、清盛が天皇家の血筋を引く人物であり、当時から公然の事実であったのならば、その後の展開が少し説明が付きにくくなるような気がするのですが。
Commented by sakanoueno-kumo at 2012-01-13 16:41
< しばやんさん
そうですね。
第1回を見るかぎりでは期待できそうですね。
ただ、第1回というのはどの作品も力の入るところだと思うので、もうちょっと見てみないとわかりませんけどね。

いや、わたしもこの時代のことはあまり詳しくありません。
ずいぶん昔に吉川英治の「新・平家物語」は読みましたが、正直ほとんど忘れちゃいましたし・・・。
もし、おかしな事を言ってたりしたら、遠慮なくご指摘ください。
Commented by sakanoueno-kumo at 2012-01-13 17:08
< heitarohさん
おっしゃるとおりだと思います。
私が言いたかったのは、ご落胤伝説というと、たいていは後世に出来た根も葉もない話で、学者さんなどには相手にされないものがほとんどなのに対して、清盛の場合は少し事情が違って、学者さんでもこの説を推す人がたくさんいるということです。
私自身が、このご落胤伝説を信じているわけではありません。

おっしゃるように、清盛のスピード出世については、父・忠盛の“譲り”による部分が大きかったようですね。
ただ、公家たちの間では清盛の出世は面白くない人事だったことは想像がつきます。
そんな妬みやっかみから、「清盛は帝の子なんじゃないの?」なんて噂話が当時からあったとしても、不思議ではないように思います。

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