平清盛 第6話「西海の海賊王」

 保延元年(1135年)4月、平清盛の父・平忠盛に瀬戸内海に荒らしていた海賊討伐の命が鳥羽上皇(第74代天皇)より下った。この当時、瀬戸内海では海賊がはびこり、数十艘の船を操って輸送船を襲い、乗員を殺害して貨物を略奪していた。のちに西国では“水軍”と呼ばれる武力集団が生まれるが、その前身がこの頃から形成されつつあったのである。

 忠盛はこの6年前の大治4年(1129年)にも一度、山陽・南海道の海賊討伐を命じられており、おそらく、このときの手腕が買われたのだろう。公卿たちの忠盛の人選の理由は「西海に勢力を有する」というものだった。このとき、もうひとりの候補としてあげられていたのが源義朝の父・源為義である。公卿たちが最終的な判断を鳥羽院に委ねたところ、「為義では追討使が進む路次の国々が滅亡してしまうので忠盛がよいであろう」という指示があったため、忠盛の派遣が決定されたという。為義では国々が“滅亡”してしまうというのは、西国に地盤のない追討使を派遣することで、かえって混乱を生じるかもしれないといった懸念からだったのであろう。その点、忠盛はすでに伯耆や備前などの西国の受領を歴任し、6年前の海賊追捕の実績もあった。源氏一門は、またしても伊勢平氏の後塵を拝すことになったのである。

 清盛がこの追討に参加したかどうかは記録が残っていないのでわからない。ただ、当時清盛は18歳であり、父に従って参戦していたと考えるのが妥当であるかもしれない。平氏にとって海賊討伐は、瀬戸内海の水軍や在地武士を組織して西国に幅広く平氏の勢力を拡大するためのものでもあった。時期棟梁である清盛の姿を、西国衆に披露する良い機会にもなったはずである。ドラマのとおり、清盛にとってこれが初めての実戦経験だったかもしれない。

 まるで、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』ジョニー・デップが演じているジャック・スパロウのような扮装で登場した西海の海賊王・兎丸だったが、彼はドラマオリジナルの架空の人物。おそらくドラマでは、この兎丸が清盛の水軍形成の柱となっていくのだろう。だた、実際にも海賊討伐の際に、こうして能力のある人材と主従関係を結んで、平氏の勢力の拡大をはかっていたとしてもおかしくはない。その意味では、清盛にとってこの初陣は、武勇を磨く以上の意味があったといっていいだろう。

 鳥羽院から海賊追討を命じられてからわずか4ヵ月、捕虜にした海賊たちを引き連れて、忠盛率いる平氏軍が京に凱旋した。これにより、京における平氏の武威はいやが上にも高まっただろう。だが、華やかな凱旋パレードの影では、黒い噂が囁かれてもいたのである。忠盛が京に連行してきた海賊たちは、日高禅師をはじめとする70人であったとされるが、そのうち28人が検非違使に引き渡されたものの、忠盛の家人ではない手下を「賊虜」と称して引き渡したに過ぎないというのである。忠盛にとっての海賊討伐は、西国の武士との主従関係を強める機会であったとともに、平氏の武勇を京の人々に示すためのパフォーマンスでもあったようである。


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by sakanoueno-kumo | 2012-02-13 01:08 | 平清盛 | Comments(0)  

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