平清盛 第8話「宋銭と内大臣」

 9世紀末に藤原道真の建議によって遣唐使が廃止されて以来、わが国の外国との正式な国交は途絶えていた。京の貴族の間では、中国文化の影響から離れたわが国独自の国風文化が発展する一方で、外国をケガレの対象と見るようになり、国際社会に対する無関心や外国人に対する排外思想が広まっていった。平清盛が生きたこの物語の時代より200年以上前の宇多天皇(第59代天皇)の時代には、「天皇が外人と面会しなければならない場合は簾の中から見よ」と皇子に対して戒めており、そんな海外に対する忌避感は、実現不可能な攘夷を主張し続けた幕末の孝明天皇(第121代天皇)まで、実に1000年近く続くのである。

 しかし、遣唐使が廃止された後も、日本と中国との交流が完全になくなったわけではなかった。対外貿易は九州の大宰府が一元管理していたが、やがて国禁を破って海外に渡り大陸の文物を輸入する商人が現れ、日宋貿易はかえって活発化していった。そして12世紀半ばには、太宰府による管理貿易とは別に、九州沿岸の有力な荘園領主による密貿易も行われるようになる。清盛の父・平忠盛もそのひとりだった。

 公家・源師時の日記『長秋記』によると、長承2年(1133年)に鎮西(九州)へ宋国の商船が来航した際、太宰府の役人が商船と交渉して取引を始めようとしたが、荘園を管理していた忠盛が下文を作成し、院宣と称して役人たちを追い払ってしまった。宋船が来着した場所は神埼荘の飛地で、当時の神埼荘は鳥羽上皇(第74代天皇)の直轄領であり、忠盛は院の命令により荘園を管理する立場にあった。その特権を利用して、大胆にも鳥羽院の院宣を偽造して貿易を独占したのである。現代ならば、公文書偽造の罪に問われかねない行為だが、当時の忠盛は鳥羽院から重用されており、院宣が偽物であることを気づいていた大宰府や院庁の面々も、忠盛の行為を不問に付すほかはなかったのだろう。

 忠盛が日宋貿易に目をつけたのは、海賊討伐によって配下となった海賊や西国の在地領主から貿易の知識を得ていたからだろう。また、忠盛はこれより10年以上前に越前守に任じられていたときがあり、この頃から既に貿易にかかわっていたという推測もあるようである。宋商人は太宰府のほか、ときには日本海の敦賀へ来て交易を行う場合もあったらしい。敦賀は越前守の管轄下にあり、このとき貿易のメリットを実感したのかもしれない。そう考えれば、神埼荘の管理も、端から密貿易をするために鳥羽院に頼んで許されたものだったのかもしれない。そんな忠盛の日宋貿易に対する熱心さは、やがて息子の清盛に引き継がれ、さらに活発化していくこととなる。

 「内大臣になった暁には、徹底して粛清致いたします」
 と、ただならぬ威圧感で不気味な笑みを浮かべていたのは、当時、「日本一の大学生(だいがくしょう)」と称されていた藤原頼長。「大学生」とは学者という意味で、その学識の高さは当時の貴族の中では右にでる者はなかったとか。父は白河院(第72代天皇)時代の関白で藤原忠実、兄も鳥羽院の関白となる藤原忠通である。父・忠実は、白河院の養女・璋子と忠通の縁談を破談にしたことや(参照:第5話)、娘・勲子(のちの泰子)の鳥羽院への入内にまつわる行いが白河院の怒りを買うところとなり、関白職を罷免され宇治で10年に及ぶ謹慎生活を余儀なくされる。この謹慎中に生まれたのが頼長だった。幼き頃から聡明努力家だった頼長は、忠実の期待を一身に受けて育ち、若干17才で内大臣となり、やがて、実質的に朝廷内の執政を握ることとなる。

 そんなエリートを絵に描いたような頼長だったが、一方で、何事にも妥協を知らない完璧主義者で、わずかな落ち度も許さないといった冷厳な性格の持ち主だった。自他ともに厳しい性格は役人向きといえなくもないが、その厳格さは苛烈を極め、一説には、公務に遅刻した同僚の家を燃やしてしまったという逸話も残されているほどである。ドラマで、たった一本の枝の切り残しを見つけ、その庭師を即座にクビにするという場面があったが、あながちフィクションでもないかもしれない。後年、左大臣まで昇り詰めた頼長を、人々は「悪左府」と呼んで恐れたという。

 ちなみに、「悪左府」以外にも、「悪源太義平」「悪七兵衛景清」など官名や人名の接頭語として「悪」という文字が使われている例が見られるが、これは現代語で意味するところの「悪人」とは少しニュアンスが違っていて、人並み外れた能力や厳しさ、猛々しさに対する畏敬の念をこめた言葉だそうである。つまり頼長の異名「悪左府」を訳せば、「尋常でない才覚を持った左大臣」といったところだろうか。もっとも、遅刻したくらいで家を燃やしてしまうような過激な逸話をみれば、現代語で意味するところの「悪人」といってもいいような気がしないでもないが・・・(笑)。

 さて、次週は雅仁親王、のちの後白河法皇(第77代天皇)が登場するようだ。ようやく保元・平治の乱の役者が揃ってきたが、保元の乱が起こるのはこれより20年ほど先の話。物語はまだまだプロローグである。


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by sakanoueno-kumo | 2012-02-27 19:50 | 平清盛 | Comments(2)  

Commented by SPIRIT(スピリット) at 2012-02-28 14:27 x
『悪』が悪人の意味で使われたのは、中世に『悪党』が登場したころだそうですね。
『よろづにきわどき人』である頼長が、この先どんな障壁になるかわかりませんが、ドキドキしますね。
Commented by sakanoueno-kumo at 2012-02-29 01:20
< SPIRIT(スピリット) さん

へぇ~、そうなんですか。
そこまでは知りませんでした。
じゃあ、それまでは今で言うところの『悪』という意味は、どんな言葉で表していたんでしょうね。

『よろづにきわどき人』はなかなかのヒールぶりでしたね。
さすがは鬼の副長を演じた山本耕史さん。
ハマリ役だと思います。

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