平清盛 第11話「もののけの涙」

 平清盛の最初の妻については、高階基章という廷臣の娘だったということと、長男・平重盛、次男・平基盛の二人の男子を産んだということ以外は何もわかっていない。したがって今話の彼女に関するストーリーは全て創作である。重盛が生まれたのは保延4年(1138年)、基盛が生まれたのは保延5年(1139年)とされており、清盛の2番目の妻となる時子が三男・平宗盛を生むのが8年後の久安3年(1147年)のことなので、おそらくはこの間に何らかの理由で死別したものと思われる。清盛と最初の妻との結婚は身分違いの“格差婚”で、出自からいえば2番目の妻である時子の方が上であることから、名前もわからない身分違いの最初の妻を「正室」と見るか否かは歴史家の中でも意見がわかれているらしい。ただ、清盛があくまで重盛を平家の後継者と考えていた様子から見れば、最初の妻を「正室」、時子を「継室」と考えるのが正しいのかもしれない。いずれにせよ、最初の妻と清盛との夫婦生活は、おそらく7~8年で終わったようである。

 永治元年(1141年)、朝廷では崇徳天皇(第75代天皇)が異母弟の体仁親王に譲位。わずか3歳の近衛天皇(第75代天皇)が即位した。崇徳帝が近衛帝への譲位を承諾したのは、近衛帝が自身の「皇太子」の立場で即位すると考えていたからだった。たとえ弟であっても皇太子に位を譲るのだから、崇徳帝は「父」の資格をもって院政を行えると期待していたのである。しかし、譲位の内容を記した宣命には「皇太弟」と書かれており、父権はあくまで鳥羽法皇(第74代天皇)のままだった。騙されたと知った崇徳帝は、鳥羽院を深く恨んだという。天皇の兄では院政は行えないのである。

 ここで鳥羽院と崇徳院の関係を今一度おさらいしておくと、崇徳院は鳥羽院と待賢門院璋子との間に長男として生まれながら、鳥羽院は祖父の白河法皇(第72代天皇)と璋子が密通して出来たのが崇徳院だと信じて疑わず、鳥羽院は終生、崇徳院のことを「叔父子」と呼んで忌み嫌ったと伝えられる。これがもし事実ならば、鳥羽院の白河院に対する恨みは相当なものだっただろう。崇徳帝を排して弟の近衛帝を即位させたのも、白河院の定めた「直系」を排して、自身が決めた「直系」に移行し、鳥羽院の思いどおりの院政が行えるようにしたばかりか、自身の死後も崇徳院に院政の権限を与えないためという意図もあったと思われる。白河院の命によって、わずか5歳の顕仁親王(崇徳院)に天皇の座を譲って以来、鳥羽院はずっとこの日を待っていたのかもしれない。鳥羽院の白河院に対する恨みはわからなくはないものの、崇徳院にしてみればすべて生まれる前の出来事。にもかかわらず、父からは「叔父子」と呼ばれて冷遇され、白河院への恨みをはらす対象となってしまった崇徳院は、少々気の毒な気がしないでもない。すべての悪の元凶は白河院にあった。「もののけ」と言われても仕方がないところである。

 鳥羽院の寵愛を受け、近衛帝の生母であることを背景に、皇后・美福門院得子の勢力は待賢門院璋子を日に日に圧倒していった。ドラマにあった、璋子に仕えていた判官代・源盛行とその妻・津守嶋子が得子を呪詛したという疑いで土佐国に流されたという話は史実で、近衛帝即位の直後の出来事だった。白河院の死後、凋落の一途を辿っていた璋子が、さらに崇徳帝の退位によって国母の座も奪われ、その恨みの矛先を得子に向けて呪詛の指示を出したといわれているが、一方で、これを機に待賢門院璋子とその一派を一掃するために、関白の藤原忠通と美福門院得子がしかけた謀略だったのではないかという見方もある。いずれにせよ、この約1ヶ月後に待賢門院璋子は出家した。おそらく、この呪詛事件に関連しての出家だったであろうことは間違いなさそうである。かつて鳥羽院から「もののけ」と罵られた待賢門院璋子。このとき「もののけ」の目に涙があったかどうかは知る由もないが・・・。


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by sakanoueno-kumo | 2012-03-21 00:32 | 平清盛 | Trackback(3) | Comments(2)  

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Tracked from ショコラの日記帳・別館 at 2012-03-21 09:32
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Tracked from 早乙女乱子とSPIRIT.. at 2012-03-25 21:05
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Commented by SPIRIT(スピリット) at 2012-03-21 14:31 x
平家物語では清盛や宗盛より重盛のほうが、正しく有能な人物として描かれていますが、重盛をあくまで嫡男としたのも、それがあったと思います。
歴史にもしもはありませんが、もし重盛が長生きしてたら、歴史はどうなっていたでしょうね。
Commented by sakanoueno-kumo at 2012-03-21 18:33
< SPIRIT(スピリット)さん
重盛は清盛も買っていたようですが、清盛より有能だったというのはどうでしょうね。
平家物語は鎌倉時代に清盛を悪人とするために描かれた物語だといわれますから、清盛のヒールぶりを際立たせる対比として重盛が必要以上に聖人君子に描かれていると思われます。
実際の重盛は、兄弟の中では一番有能ではあったのでしょうが、清盛を凌ぐほどの人物だったかどうかは疑わしいですし、清盛の悪行を諌める聖人君子ぶりは作られたものだと考えていいのではないでしょうか。
もし重盛が長生きしていたら・・・。
重盛が生きていようがいまいが、頼朝を生かした時点で平家の末路は決まっていたような気もします。

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