平清盛 第22話「勝利の代償」
合戦の勝利を受けて朝廷は、その日のうちに藤原忠通を藤原氏長者とする宣旨を下し、早くも論功行賞が行われた。これを取り仕切っていたのが、天皇方の参謀・信西だった。この戦功により平清盛は受領の最上位に位置する播磨守に栄進。弟の平経盛が安芸守、同じく弟の平教盛、平頼盛が内昇殿を許された。その一方で、源義朝は内昇殿を許されたものの、左馬頭(朝廷の馬を管理する左馬寮の長官)に任じられたに過ぎなかった。戦功という点でいえば、最も積極果敢に戦ったのは義朝の軍勢であり、清盛率いる伊勢平氏は最大兵力を動員してはいたものの、目立った活躍はしていない。しかも、義朝は父・源為義をはじめ一族多数を敵にまわして戦ったが、清盛はさして仲が良かったわけではない叔父の平忠正と敵味方に分かれただけで、一族の人材を失ってはいなかった。すべては、今後の政権運営に平氏の力を利用しようと考えた信西の思惑によるものだったが、義朝の不満は大きかったようで、このことが3年後の「平治の乱」の遠因になったともいわれている。
敗走した崇徳院は、ドラマにあったように仁和寺の覚性入道親王を頼った。覚性は崇徳院や後白河帝と同じく待賢門院璋子の子で、二人の実弟である。しかし覚性は兄・崇徳院の受け入れを拒否。行き場を失った崇徳院はやむなく投降した。軍記物語の『保元物語』によると、崇徳院は如意山へと逃亡するが、次第に気力を失い、出家を願うものの、この山中ではとても無理であると臣下にいわれ、涙をこぼして落胆したとある。これもドラマにあったとおりだ。
同じく『保元物語』によれば、敗走中に流れ矢を首に受けて重傷を負った藤原頼長は、出血による衰弱に苦しみながら逃亡を続け、戦から2日経った13日に木津川まで落ち延びたところで気力を失い、奈良の興福寺の禅定院にいた父・藤原忠実に助けを求めるため、付き従っていた図書允俊成を使いに出すも、
「何とか入道おも見んと思ふべき。我も見えん共思はず。やうれ俊成よ、思ふても見よ、氏の長者たる程の者の、兵杖の前に懸る事やある。左様に不運の者に、対面せん事由なし。音にもきかず、ましてめにもみざらん方へゆけと云べし。」
意訳:「何故この入道に逢いたいと思うのか、私は逢いたくもないぞ。やい俊成よ、思うて見よ。氏の長者たる程の者が、戦場にて傷付くなどということがあって良いものか。左様な不運の者に、対面せねばならぬ理由はない。風聞も目も届かないところへ行けと申せ。」
と言って、忠実は泣きながら頼長との対面を拒否。この報告を聞いた頼長は、失意のあまり舌を噛み切って落命する。享年37歳。「日本一の大学生、和漢の才に富む」と、その学識を称えられた頼長だったが、その最期はなんとも惨めなものだった。『保元物語』では頼長落命の章の最後を、
「俊才におはしましゝかども、其心根にたがふ所のあればこそ、祖神の冥慮にも違て、身をほろぼし給ひけめ。」
意訳:「たしかに頼長様は秀才ではあられたものの、その心根にどこか違うところがあったため、先祖の神々のお考えに合わず、わが身を滅ぼすことになったのでしょう。」
と、結んでいる。
ドラマでは描かれていないが、さらに『保元物語』の伝えるところでは、頼長の亡骸は奈良の般若野に埋葬されたが、頼長落命の知らせを受けた信西が、その死を確かめるために遺骸を掘り起こさせたという。しかも、その遺骸は埋め戻されることもなく、路傍に捨て置かれた・・・と。この酷い仕打ちに頼長の息子たちは出家することを志すが、いつか再起をはかるべきであるという忠実の言葉に思いとどまったという。これがもし事実なら、後年、事あるごとに頼長の怨霊が囁かれたのも当然だったかもしれない。頼長の死によって摂関家の勢力はますます減退し、中央政界は信西の独壇場となっていった。
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by sakanoueno-kumo | 2012-06-04 20:49 | 平清盛 | Trackback(4) | Comments(0)
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