平清盛 第32話「百日の太政大臣」

 二条天皇(第78代天皇)が崩御する前年の長寛2年(1164年)、平清盛は娘の盛子を関白・藤原基実のもとに嫁がせ、摂関家とも深い関係を結んでいた。盛子は北政所(正室)として迎えられたが、これが明らかに政略結婚であることは、基実21歳に対して盛子はわずか9歳だったことからもわかる。保元・平治の乱によって力を失いつつあったとはいえ、貴族社会の中で最高の権威を持つ摂関家との婚姻関係は、平家にとっては大きな名誉であり、反平家勢力を抑えるという意味でも大きな意味を持つ婚姻だった。さらに魅力だったのは、摂関家が全国に所有する膨大な荘園だった。清盛は配下の家人を預所に任命したり、荘園領主を下司に任じたりして在地支配にあたらせ、摂関家領荘園からの中間搾取を行おうとしていた。

 しかし、その目論見はその2年後の永万2年(1166年)に基実が24歳という若さで急逝したことで頓挫してしまう。基実の嫡男・藤原基通は11歳とまだ若く、代わりに基実の弟で後白河上皇(第77代天皇)の信任あつい藤原基房が摂政に就任した。このままでは摂関家領は基房の手に渡ってしまう。このときの清盛の様子を『愚管抄』では、「清盛ノ君、コハイカニトイフバカリニナゲキニテアル」と伝えている。

 そんな清盛に知恵を授けたのは、参議で長年摂関家の家司を務めた藤原邦綱だった。邦綱の提案では、摂関家領は嫡流である基通が継承すべきもので、基通が成人するまでは基実の正室である盛子が管理することも可能だという。『愚管抄』によると、この献策を受けた清盛は「アダニ目ヲサマシテ」喜び、摂関に付属する一部の所領だけを基房に相続させ、残りの大部分の摂関家領は盛子に相続させることに成功した。ドラマでは、邦綱の献策は後白河院が仕組んだことだという設定になっていたが、これはドラマのオリジナルである(だと思う)。

 基実の死は政界に与えた影響も大きかった。二条帝の死後、まだ乳飲み子の六条天皇(第79代天皇)を支えるかたちで摂政の基実が政治の主導権を握り、清盛も大納言として政権を支えていたが、その基実の死去によって六条帝政権は後ろ盾をなくし、5年ぶりに後白河院による院政が復活した。しかし、この政権交代にあっても平家の財力・軍事力が朝廷にとって不可欠であることには変わりなく、清盛の政治的地位は揺るがなかった。基実の死から3ヵ月後の仁安元年(1166年)10月、清盛の義妹・滋子(のちの建春門院)を生母とする憲仁親王が皇太子となった。3歳の天皇に対して6歳の皇太子という異例なかたちではあったが、後白河院にとっては二条帝の皇統を排除しようという意志の表れで、清盛にとっても妻の甥の即位を反対する理由はなかった。ここに平家一門と後白河院の事実上の政治同盟が成立したのであった。

 これによりさらに政治的地位を高めた清盛は、翌月に内大臣に昇進、その3ヵ月の仁安2年(1167年)2月には左右大臣を飛び越えて従一位・太政大臣にのぼりつめる。太政大臣は朝廷の機関・太政官の長官で、律令制においては最高の官職である。「王家の犬」と蔑まれた武士の棟梁が位人臣を極めた瞬間だった。ところがそのわずか3ヵ月後、突如清盛は太政大臣を辞任する。太政大臣は人臣最高の官職ではあったが、これといった職務はなく、摂関以外の上級貴族が晩年に賜る名誉職としての性格が強かった。そのため、ドラマにもあったように、清盛の太政大臣就任は朝廷が清盛を実権の伴わない地位に祭り上げて力を奪おうとした、という説もある(ドラマでは、その手ぐすねを引いていたのが後白河院だったという設定だったが、これはドラマのオリジナルである)。しかし、この説には否定的な見方が多い。なぜなら、大臣就任によって清盛の政治的影響力が弱まった事実はなく、むしろ大臣辞任後の清盛は前大相国(前太政大臣)として、これまで以上に国政に影響を及ぼすようになるのである。清盛にしてみれば、実権を伴わない官職は不要だが、平家の権威を高めるために肩書きだけはありがたく頂戴しておこう・・・そんな軽い気持ちでの太政大臣就任だったのかもしれない。

 源頼朝とその監視役の伊豆国豪族・伊藤祐親の娘・八重姫との悲恋物語は有名で、頼朝の物語には欠かせな逸話である。祐親が上洛中にふたりは通じ合い、やがて男子を一人もうけて千鶴御前と名付けた。その千鶴御前が3歳になったとき京から戻った祐親は、その子を存在を知って激怒。この事実が平家に知れることを恐れ、柴漬(柴で包んで縛り上げ重りをつけて水底に沈める処刑法)にして殺害したという。ドラマでは、どのように殺されたのかわからない描き方になっていたが、八重姫の泣き叫ぶ声のみの演出がいっそう想像力を掻き立て、悲しみを深くさせていた。実に秀逸な演出だったと思う。

 ただ、この八重姫と千鶴御前の悲劇は虚構の多い『曽我物語』でしか見られない話で、それも100年後に書かれたものであり、伝承の域を出ない。



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by sakanoueno-kumo | 2012-08-21 17:04 | 平清盛 | Trackback(1) | Comments(2)  

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Tracked from 平太郎独白録 親愛なるア.. at 2012-09-12 18:49
タイトル : 驕れる者も久しからず
親愛なるアッティクスへ 今年は大河ドラマと言えば、昔あったNHKの大河ドラマ「新平家物語」を覚えておられますでしょうか? 当時、私は小学校の低学年だったと思うのですが、結構、それなりに覚えてます。 特にその第一回が、なぜかこのときの正月の風景とともに澄んだ印象として残っておりまして・・・。 常々、機会が有れば、一度あらためて見てみたいと思っておりましたが、先日、ようやく念願叶い、DVDを見ることが出来ました。 当時の印象としては、若き日の仲代達矢扮する平清盛の乾坤一擲の気迫と、斜陽化して...... more
Commented by heitaroh at 2012-09-12 18:43
ああ、頼朝の悲恋話は伝承でしか無かったんですか。
その後の北条政子との話に絡めて、てっきり本当だとばかり思ってました。
Commented by sakanoueno-kumo at 2012-09-13 22:15
< heitarohさん

実は、私もこのたび調べて知りました。
まあ、でもあってもおかしくはない話ですけどね。

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