平清盛 第33話「清盛、五十の宴」

 仁安2年(1167年)5月17日、就任わずか3ヵ月にして太政大臣を辞任した平清盛だったが、それはあくまで形式的な引退に過ぎず、前大相国(前太政大臣)という権威をかさに、これまで以上に国政に影響を及ぼすようになった。まず、嫡男の平重盛に対して東山、東海、山陽、南海四道の賊徒追討を命じる宣司が朝廷より下された。この宣司は、それまで清盛が握っていた軍事、警察権を重盛に譲ることが公認されたことに他ならない。これにより重盛に家督が譲られ、清盛の後継者としての地位を名実ともに確立した。ときを同じくして清盛の弟・平頼盛大宰大弐となり、清盛の義弟・平時忠参議となったのもドラマのとおりである。平家一門は今、絶頂期を向かえようとしていた。清盛50歳のときであった。

 清盛の弟・平忠度(忠教)が新たに登場したので、今さらではあるが、ここで改めて清盛の兄弟についておさらいしてみたい。第1話でも触れたとおり(参照:第1話)、清盛の生母については正確なことはほとんど何もわかっていないが、わかっているのは、清盛が2、3歳の頃に亡くなり、清盛以外に子どもを産んだという記録はないことである。つまり、清盛には父母を同じくする兄弟姉妹は一人もいなかったようだ(ドラマでは、清盛の実父は平忠盛ではなく白河法皇(第72代天皇)の御落胤という設定になっているが、この説については賛否両論があって事実とは言い難い)。清盛の生母の死後、忠盛は宗子(池禅尼)を継室に迎えて平家盛平頼盛といった男子をもうけ、また他にも三人の側室や妾との間にそれぞれ、平経盛平教盛平忠度(忠教)という男子をもうけた。次弟の家盛の生年は正確には不明なのだが、これらの異母弟の長幼の順は、家盛、経盛、教盛、頼盛、忠度というものであったと考えられている。さらに、生母も長幼の順も不明だが、清盛には少なくとも3人の異母妹がいた。

 本話で登場した忠度は清盛の末の弟で、ドラマのとおり紀伊国熊野で生まれ育ったと言われている。天養元年(1144年)生まれという説を信じれば、甥にあたる重盛より6歳年下ということになる(この時代、年下の叔父などさほど珍しいことではない)。ドラマの雰囲気では、とてもそうは見えなかったが・・・(笑)。忠度がこの頃はじめて清盛に会ったかどうかはわからないが、清盛の兄弟のなかでも出世が遅れがちだったのは事実である。ただ、歌人としては優れた人物で、当代随一の歌人・藤原俊成に師事した文人武将として後世に名高い。『平家物語』の中でも、経盛の子・敦盛が落命する「敦盛最期」とともに、「忠教最期」の場面は涙を誘う話として知られる。そんな忠度の人物像を上手く表した設定だった。もっとも、あんな山男のような風貌だったかどうかは定かではないが・・・。

 兄弟の話になったついでに、本話で大宰大弐となった頼盛についても少しだけ。ドラマでは、あまり兄弟仲が良くないように描かれている清盛と頼盛だが、実際にも不仲だったという見方がある。一般にいわれているのは、家盛亡きあと頼盛は正室のただ一人の子として、忠盛の死後、清盛の家督相続を快く思っていなかったとする説だが、それ以前の逸話としても、忠盛が伊勢平氏の「伝家の宝刀」である「小烏丸」を清盛に与え、同じく「抜丸」を頼盛に与えたところ、両方を貰えると考えていた二人は、このことがきっかけでその後仲違いしたというエピソードがある。この話の当否はともかく、「保元の乱」の際に池禅尼が頼盛に対して、兄の清盛と同一行動をとるように命じたという『愚管抄』の記述もあり、母親がそんな言わずもがなのことを忠告せねばならなかったことから考えても、ドラマのとおり、二人の仲は決して良好なものではなかったようだ。その後、兄弟の間にはこれといったトラブルはなかったが、清盛の死後、頼盛が平家一門と行動を共にしなかったことから見ても、清盛の子供たちと頼盛の関係も同じく溝があったのかもしれない。

 本話の清盛の「五十歳の宴」は、ドラマのオリジナルである(たぶん)。ただ、この時期の平家一門の繁栄と結束の強さを上手く描いた創作だったと思う。清盛が扇で夕日を招き返したという逸話は宴の席のことではなく、音戸の瀬戸の工事にあたり、清盛は一日で工事を終わらせるために沈みゆく夕陽を扇で招き返し、工事を完成させたというエピソード。もちろん、荒唐無稽な伝承であることは言うまでもない。ただ、この時期の清盛はそれほど力を持っていた、思いどおりにならないものは何ひとつなかった、ということはいえるだろう。ところが、そんな清盛を思わぬ病が襲う。清盛、51歳のときだった。


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by sakanoueno-kumo | 2012-08-27 18:00 | 平清盛 | Trackback | Comments(2)  

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Commented by heitaroh at 2012-09-12 18:33
忠度について一言・・・。
彼の受領名は薩摩守。
従って、昭和三十年代、ギャグとして、無賃乗車することをタダノリに引っ掛けて薩摩守と言うことが流行したそうです・・・・って関係ないですね(笑)。
Commented by sakanoueno-kumo at 2012-09-13 22:13
< heitarohさん

あっ、それ聞いたことがあるような気がします。
つまり、平キセルってことですね(笑)。
忠度にしてみれば迷惑な話です(笑)。

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