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夏休み丹波路紀行 その1 「府民の森ひよし」

お盆休みに京都府は南丹市に行ってきました。
南丹市は京都府の中部に位置する市で、小泉政権時代の市町村合併に伴い、船井郡園部町・八木町・日吉町、北桑田郡美山町が合併して2006年に誕生した新しい市です。
南丹の語源は丹波の南という意味で、丹波とは言うまでもなく、かつての丹波国のことですね。
丹波国は大きく分けて現在の京都府中部と兵庫県北東部の一部に分かれます(一部、大阪府北部も含まれます)。
明治維新後の廃藩置県によって令制国は廃止され、いくつかの編制を繰り返しながら今の47都道府県になりましたが、旧令制国の区分が複数の県に分かれてしまった例は珍しいんじゃないでしょうか(複数の令制国がひとつの県になった例はたくさんありますが)。
なぜそうなったかは詳しくは知りませんが、明治初年、中央集権体制を進める明治政府の大久保利通らによって、但馬・丹後を含め似通った地域性を無視して2府県に分けられたそうです(Wiki参照)。
そのため現在でも、京都丹波・兵庫丹波と分類されたりします。
今回訪れたのは、その京都丹波地方です。

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この日の宿は、日吉町の天若湖畔に広がる森林公園『府民の森ひよし』内にある宿泊施設。
ここ『府民の森ひよし』は、128ヘクタールの広大な森林公園で、美しい緑に囲まれて自然に親しむにはたいへん良い場所です。
ここを訪れたのは7年ぶり2度めのことでした。

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この日一緒に宿泊したのは3家族12人
子供が幼い頃から毎年夏休みにはどこかのアウトドア施設に泊りにいくことを恒例としてきたのですが、いつの間にやら子どもたちも大きくなり、スケジュールを合わせるのもたいへんになってきました。
我が家の愚息も、高校生になってからはずっと野球部の練習があり不参加だったのですが、この夏はれて引退したため久々の参加です(もし甲子園にでも行っていたらここにはいなかったでしょうが・・・笑)。

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アウトドアといえばバーベキューですよね。
これも十数年ずっと続けてきましたが、炭加減などなかなか難しいものです。
あと、食材の量も毎年買いすぎちゃって大量に余っちゃうんですよね(汗)。
学習能力がありません(苦笑)。

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スイカ割りも毎年恒例です。
と言っても子供たちは大きくなり、小学生は二人だけ。
数年前までは最も盛り上がるイベントだったんですが、さすがにそろそろ限界かもしれません。

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もともと子供たちが小さかった頃、上げ膳据え膳の観光旅行よりも、自然の中に放牧しておもいっきり遊ばせてやったほうが子供たちにとっては良いと思って始めた夏キャンプでしたが(費用も安上がりですしね)、あと数年後には爺婆だけの老人会になりそうです(笑)。

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揃って記念撮影。
ここは宿泊費用も安く、子供連れや団体で泊まるにはたいへん良いところです。
例年はもう一家族いて、もっと大人数になるのですが、残念ながら今年は野暮用にて不参加、この3家族12人でした。
盆正月くらいのんびりと過ごしたいという人も多いと思いますが、こうして気心知れた仲間と賑やかな夏のひとときを過ごすのもいいもんですよ。

明日に続きます。


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by sakanoueno-kumo | 2012-08-28 23:58 | 京都の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)  

Commented by heitaroh at 2012-09-12 18:27
旧令制国の区分が複数の県に分かれてしまった例は豊前がそうですね。
福岡県と大分県です。
ただ、むしろ珍しいのは旧令制国1国で複数の県に分かれてしまった例・・・。
私が知るかぎり、肥前国(佐賀県、長崎県)と武蔵国(東京都と埼玉県)だけでは?
東京はまあ、わかるんですよ。
でも、佐賀と長崎はまったく理解不能ですね。
狭いし。
Commented by sakanoueno-kumo at 2012-09-13 22:12
< heitarohさん

そうでしたか。
詳しく調べずに感覚だけで述べてしまっていたのですが、旧令制国の区分が複数の県に分かれてしまった例は結構あるんですね。
わが兵庫県の場合、大きくは摂津、丹波、但馬、播磨、淡路の五国からなる(美作、備前の一部を含めると七国)たいへん面積の広い県ですが、これも珍しいんじゃないでしょうか(これもまた詳しく調べずに述べています)。
その背景には、外貨獲得の礎となる神戸港を発展させるために、豊かな農村地帯である但馬や丹波、播磨の税収を当てるという明治政府の思惑があったようです。
そのため、兵庫県内でも方言が大きく異なりますし、兵庫県民としての団結力やアイデンティティの弱さにも繋がっていると言われています。

兵庫県とは逆に佐賀と長崎のように令制国1国で複数の県に分かれてしまった例。
なんか理由があるんでしょうね。

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