平清盛 第34話「白河院の伝言」

 仁安3年(1168年)2月2日、平清盛が突如に倒れた。「寸白(すばく)」という名の病で、寄生虫によって引き起こされる病である。一般にサナダムシのことだといわれている。おそらく当時は治療といえるような手立てはなく、ドラマのように祈祷するぐらいしか打つ手はなかっただろう。その寸白によって高熱にうなされた清盛は、1週間後には「危篤」といわれるほどの重体に陥った。事実上、政界のトップである清盛の危篤の報が朝廷に与えた衝撃は大きく、六波羅の清盛邸には多くの人々が見舞いに訪れたという。平家に批判的な九条兼実ですら、清盛の病を「天下の大事」として、もし万が一のことがあれば「天下乱れるべし」と、日記『玉葉』に記していることから見ても、この当時の政界における清盛の存在の大きさがうかがえる。

 清盛が病に倒れたとき熊野詣に赴いていた後白河上皇(第77代天皇)は、清盛危篤の報を聞いて予定を切り上げて帰京し、清盛を見舞った。このとき後白河院は、ドラマのとおり参詣の際に着る浄衣のままで清盛の枕元に現れたというから、二人の親密ぶりがうかがえるエピソードである。さらに上皇は近臣に「大赦」を行うように命じたという。「大赦」とは、国家の慶事凶事に際し、天皇・上皇の大権により罪人の刑罰を免除する律令制の既定である。摂関家以外の臣下の病で大赦を行った例はなかったが、国家の重臣であるという理由で特例扱いとなったとか。このエピソードからも、当時の清盛が後白河院からいかに期待されていたかがわかる。もっとも、ドラマのように二人の友情からくるものではなかった。このとき後白河院は憲仁親王を天皇に即位させる考えがあり、その計画には義理の叔父である清盛の協力が必要だと考えていたからである。熊野詣から急ぎ引き返してきた後白河院は、病床の清盛と相談しで5歳の六条天皇(第79代天皇)を退位させ、高倉天皇を即位させることを決めた。そして4日後には早くも天皇位を継ぐ践祚の儀式が行われ、平家と血縁関係を持つ天皇が初めて誕生したのであった。

 ドラマでは、清盛は次週に出家するようだが、実際には病床のなか死を覚悟した清盛が、最後の手段として妻・時子とともに出家したという。つまりは、仏に仕えることによって病を追い払おうとしたのだ。実際にこの時代、出家することで病が癒えると信じられていたようで、時子の叔父である平信範の日記『兵範記』では、清盛の出家について「除病延寿菩提」は疑いないと記されている。出家した清盛の法名は静蓮、のちに静海(浄海)と改めた。その甲斐あってか、清盛の病は死の淵から奇跡的に回復する。こうして「天下の大事」は終わった。

 清盛の病に際して描かれていた嫡男・平重盛平宗盛の確執はドラマの創作で、清盛はあくまで重盛を嫡男として扱っており、少なくともこの時期にはこうした対立関係はなかったと思われる。おそらく今後の展開の伏線だろう。それにしても、毎度のことながらこのドラマでの平時忠は絵に描いたようなトラブルメーカーである。「平家にあらずんば人にあらず」の言葉を発した人物として後世に知られる時忠だが、実際にも野心家だったようで、三度も配流となるなどかなりの曲者だったようである。ただ一方で、二度の配流を経験しながらも復帰した後は高い官位、官職に昇っていることを思えば、ドラマのような単なる浅知恵のトラブルメーカーではなかったようだ。実際に後年、清盛亡き後の平家の実質的な指導者は、この時忠であったという。ドラマでも、そのあたりをもうちょっと留意した描き方はできないものだろうか・・・と、少しばかり時忠の名誉のために擁護しておくことにしたい。

 今話は清盛の病床でその半生を振り返った。ただ単に過去のシーンをフラッシュバックしただけではなく、これまでなかった話や過去のシーンと今が重なりあう描き方など、どれも秀逸な演出だったと思う。清盛の母・舞子白河法皇(第72代天皇)の命により処刑された場面に、50歳の清盛が現れてむせび泣く。あのシーンは、第1話のシーンと並行して撮影されたのだろうか・・・。とすれば、清盛役の松山ケンイチさんは清盛の50歳を演じたり15歳を演じたり、1年間の長丁場の中で何度も年齢を行ったり来たりしていたことになる。俳優さんの役作りも大変だなあ・・・と、そんなことを思った今話だった。そのあたり、もうちょっと視聴率アップに結びつかないものだろうか・・・。


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by sakanoueno-kumo | 2012-09-03 01:47 | 平清盛 | Trackback | Comments(0)  

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