平清盛 第36話「巨人の影」

 仁安四年(1169年)3月20日、平清盛は隠棲生活を送っていた福原に後白河上皇(第77代天皇)を招き、千人供養を催した。千人供養とは、読んで字の如く千人の僧侶によって行われる法会で、極めて功徳の大きい仏教儀式として古代より尊重された。清盛主宰の供養は、こののちたびたび催されたようで(少なくとも6回催されたことが記録に残っている)、特別な理由がない限り後白河院も臨席していた。ときには後白河院自身が千僧のひとりとして供養に参加したこともあったというから、清盛と後白河院の蜜月ぶりを演出するイベントでもあったといわれている。後白河院の第二皇子・守覚法親王や、亡き鳥羽法皇(第74代天皇)の第七皇子・覚快親王などの名だたる高僧も数多く参加しており、千人供養は清盛の権勢をアピールする一大セレモニーでもあった。

 改元した嘉応元年(1169年)12月23日、延暦寺大衆が後白河院の近臣・藤原成親配流を求めて強訴を起こした。事の発端は延暦寺の末寺・白山と尾張目代の紛争で 、やがて中央に波及して後白河院と延暦寺の全面衝突となった。成親を守ろうとする後白河院は、福原にて隠棲している清盛に変わって武士を率いる平重盛に3度に渡って出動命令を下すものの、ドラマのとおり重盛はこれを拒否して動かなかった。重盛は成親の義弟にあたる。これにより強訴の武力鎮圧をあきらめた後白河院は、いったんは延暦寺の要求をのんで成親の流罪を決めたものの、その直後あっさりと決定を覆して成親を呼び戻し、成親の流罪を主張した平時忠たちを配流、天台座主・明雲を処罰した。延暦寺の大衆は激怒し、再び強訴を行う姿勢を見せ、またもや法皇と延暦寺の間に一触即発の雰囲気が漂った。

 そんな京の情勢を見かねた清盛は、年が明けた嘉応2年(1170年)1月13日に嫡男の重盛、14日に弟の平頼盛を福原に呼び寄せて状況を報告させると、17日に上洛。成親の解官や時忠の召喚などを次々と断行してあざやかに政局を収拾してみせた。後白河院といえども清盛がいなければ延暦寺の強訴相手に為す術もないことがここに明確となり、清盛が京にいないことが、かえって清盛の存在感を高めることとなったのである。まさしく、今話のタイトルどおり「巨人の影」であった。

 なぜ清盛が延暦寺の意向に沿うかたちで解決をはかったかについては、様々な理由が考えられる。ひとつには、清盛の出家の戒師が明雲だったこと。明雲は清盛からあつい信頼を受けており、福原の千僧供養では法華経供養の導師を務めるなど、その親密ぶりは「平氏の護持僧」といわれるほどであった。また、別の見方では、若い頃に引き起こした祇園闘乱事件の苦い教訓から、延暦寺を敵に回すことの恐ろしさを知っていたから・・・ともいわれる。他にも、成親ら後白河院の近臣たちの力を削ごうとした・・・などともいわれており、いずれにしても、清盛にとっては延暦寺側に付くほうが得策だったことは明らかだ。一方で、「治天の君」である後白河院にとって、自身の意向に従わず、福原にいながらにして政界に隠然たる影響力をもつ清盛の存在が煙たくなってくるのは、当然のなりゆきだったといえるだろう。この頃を境に、清盛と後白河院の相互不信は深まっていく。

 今話はほぼ通説どおりの脚本で、清盛の巨人ぶりが実に見事に描かれていたと思う。


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by sakanoueno-kumo | 2012-09-19 11:10 | 平清盛 | Trackback(3) | Comments(2)  

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Commented by heitaroh at 2012-09-20 19:14
一つ、教えてください。

平氏は平家とも平氏とも言うのに源氏は源家とはあまり言わないのは何故でしたっけ?
以前、聞いていたのですがすっかり忘れました。
まあ、「氏」と「家」との違いはわかるのですが、最近では、家の集合体を氏と呼んだりすることもあるみたいですし・・・。
Commented by sakanoueno-kumo at 2012-09-21 01:26
< heitarohさん

正しいかどうかの自信がないのですが、「平氏」と「平家」の使い分けについては、第17話の稿でもふれています。
「平氏」が平姓をもつ者全体を指しているのに対し、「平家」は清盛の一族をさすのが一般的ですよね。
『平家物語』も清盛とその子孫たちの物語で、広く平氏全体を対象としていません。
私が聞いた話では、三位以上の上流貴族の家では、政所と呼ばれる家政機関を設置し、朝廷から職員が派遣され、個人の家でありながら公的なものになるため、「〇〇家」と呼ぶようになるとか。
その論でいえば、清盛が三位以上の公卿になった時点で「平家」と呼ぶべきなんでしょうね。

源氏の場合も、頼朝が正二位まで昇っていますが、幕府という独自の行政機関を立ちあげて貴族社会の慣例に沿わなかったため、「源家」とは呼ばれなかったのではないでしょうか?

まあ、それとは別に、『源氏物語』と『平家物語』からくる呼称が後世に与えた影響も大きいでしょうけどね。

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