平清盛 第37話「殿下乗合事件」

 嘉応2年(1170年)7月3日、平清盛から棟梁の座を譲られた平重盛の次男で、当時13歳だった平資盛が家臣30騎ばかりを連れて鷹狩りに出かけた帰路、寺院に参詣する途中の摂政・藤原基房の一行と鉢合わせになった。本来、貴族社会では身分の高い人にあったとき、下位の者は下馬して礼をしなくてはならない。しかし、このとき資盛一行は下馬の礼をとろうとしなかった。基房の従者たちはその無礼を咎めたが、資盛たちは下馬するどころか行列をかけ破って通りぬけようとした。怒った基房の従者たちは、その人物が清盛の孫であることを知ってか知らずか、資盛とその共の者たちを馬から引きずり降ろし、さんざんに辱めを加えるという出来事が起こった。

 これに怒った平家は、その3ヶ月後の10月21日、基房が高倉天皇(第80代天皇)の元服の打合せのために牛車で御所へ参内しようとしたところを襲撃。このとき、基房方では複数の家臣が前駆をつとめていたが、そのうち5人が馬から引きずり降ろされ、4人がを切り落とされた。当時の社会において、髻を切られるというのはこのうえない恥辱であり、平家の怒りの大きさがうかがえる事件である。

 「殿下乗合事件」と呼ばれるこの報復事件について『平家物語』では、「平家の悪行のはじめ」といい、報復を命じたのは清盛だとしている。そもそも事の発端は平家の権勢をバックにおごり高ぶっていた資盛一行の無礼から始まったにもかかわらず、これを聞いた清盛は「いかに摂政といえども清盛の身内にこのような恥辱を与えるとは許せぬ」と大いに怒った。しかし重盛は「そもそも下馬の礼をとらなかった資盛に非がある」と諌めたという。それでも清盛の怒りは収まらず、重盛に内緒で300騎余りの兵を動員して基房を襲撃。上述したとおり従者の髻を切り落とし、さらに基房の牛車にまで弓を突き入れ、簾を落とすなどの狼藉を加えたという。このことを知った重盛は大いに驚き、関係した侍たちを罰した。そして資盛に対して「このような無礼な振る舞いをして、入道の悪名を立たせるとは不孝のいたりだ」として、資盛を伊勢国に下して謹慎させた。この重盛の公明正大さに人々は大いに感心したという。

 と、おごり高ぶる清盛と平家一門の横暴のなかで、ひとり道理をわきまえた重盛の姿が描かれている『平家物語』だが、のちに摂政となる藤原兼実の日記『玉葉』などをはじめとする当時の良質の史料では、ずいぶんと話が違っている。それらによれば、実際に基房への報復を命じたのは、清盛ではなく重盛だったというのだ。資盛一行と基房の行列が鉢合わせになって乱闘に及んだのは事実だが、それが重盛の子であると知って慌てた基房は、事件にかかわった家臣らを解雇した上で、重盛に引き渡して事件をおさめようとした。しかし重盛はそんな生温い謝罪では許さず、謝罪に訪れた従者たちを追い返した。震えあがった基房は、さらに多くの家臣らを検非違使に引き渡して処罰し、事態の収拾をはかった。それでも腹の虫がおさまらない重盛は、あくまで基房本人に報復を加えようとし、7月16日には二条京極に武者を集めて襲撃しようとしたが、企てを察知した基房が外出を取りやめたため、不首尾に終わっている。その後、しばらくは何事もなく過ぎていたが、重盛が報復を断念したわけではなく、事件から3ヶ月経った10月21日に事件は起こった。あとは、『平家物語』の描写と大同小異である。

 清盛が報復を命じたという『平家物語』と重盛が報復を首謀したという『玉葉』の記述。資盛の無礼が招いた事件であるという点では同じだが、その後の経過がまるで違う。どちらの説に真実味があるかといえば、同時代の史料である『玉葉』と見るのが正しいだろう。このとき清盛は福原にいて、事件には一切かかわっていなかったらしい。それどころか、むしろ重盛の尻拭いをしていたようで、この年の12月に基房が太政大臣を兼ねるようになったのも、基房の憤りをしずめるために清盛が根回ししたものと考えられている。また、資盛は事件翌年に越前守を重任(任期終了後も続けて任命されること)しており、重盛が資盛を伊勢で謹慎させたという事実もなかったようだ。そもそも『平家物語』は清盛を悪人に仕立て上げるために作られた物語といってよく、対照的に重盛は思慮分別のある聖人君子として描かれている物語である。しかし実際の重盛は、清盛と同じく荒々しい武人の血が流れた人物だったということだろう。

 ドラマではそのどちらの説でもなく、清盛がほのめかして実行したのは平時忠という設定。『平家物語』と同じく道理を通した重盛だったが、それによって人々に感心されることはなく、むしろ父・清盛との器の違いに打ちひしがれるという展開だった。これはこれで、実に面白い脚本だったと思う。ドラマではいつも汚れ役にされている時忠には少々気の毒な気がしないでもないが、野心家策謀家だったとされる時忠のキャラとしては、あながち的外れでもないかもしれない。そんな時忠がいった本話の名言。
 「正しすぎるということは、もはや間違うているも同じことにござります。」
 公明正大さだけでは人は束ねられない。リーダーたる者、ときには交渉の手段として、あるいは配下の者の立場を守るため、清濁併せ呑む必要がある・・・と。実に深い言葉である。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村

by sakanoueno-kumo | 2012-09-24 22:53 | 平清盛 | Trackback(2) | Comments(0)  

トラックバックURL : http://signboard.exblog.jp/tb/18924231
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Tracked from ショコラの日記帳・別館 at 2012-09-24 23:49
タイトル : 【平清盛】第37回視聴率と感想「殿下乗合事件」
「殿下乗合事件」 第37回の視聴率は、前回の10.1%より少し上がって、10.5... more
Tracked from ショコラの日記帳 at 2012-09-24 23:50
タイトル : 【平清盛】第37回視聴率と感想「殿下乗合事...
「殿下乗合事件」第37回の視聴率は、前回の10.1%より少し上がって、10.5%でした。奥州の藤原秀衡役の京本政樹さん、化粧、ちょっと濃すぎでは?(^^;)まるで宝塚みたいでした(...... more

<< KOBE de 清盛 史跡めぐ... 平清盛 第36話「巨人の影」 >>