平清盛 第50話(最終回)「遊びをせんとや生まれけむ」

 平清盛が病に倒れたのは、治承5年(1181年)2月末ごろ。福原京から平安京還都して3ヵ月後のことだった。同年閏2月に入るとますます病状は悪化をたどり、やがて危篤状態に陥ったという。『平家物語』「入道死去」によると、清盛は発病以来、湯水ものどをとおらず、身体の熱いこと火の如くだったと伝えている。病床の清盛の口から出る言葉は「あた、あた(熱い、熱い)」だけで、あまりの熱さのため水風呂につけて身体を冷やそうとしても、たちまち水が沸き上がって湯になってしまい、筧で水を引いて注ぎかけても、熱した石に水をかけたときのように、水がはじけて一瞬で蒸発したという。

 にわかに信じがたいエピソードではあるが、物語では清盛の病死を、治承4年(1180年)に南都の興福寺東大寺焼き討ちした報いだとしているため、このような大げさな描写になったのだろう。ただ、清盛が高熱を発して苦しんだという記述は当時の貴族の日記や寺社の記録などにも見られるそうで、全くの作り話でもなさそうだ。そして物語では、「悶絶躃地してついにあつち死にぞし給ける」と続けている。「あつち死に」とは難しい言葉だが、発作、痙攣をするうちに高熱や激痛にたえられずに飛び上がり、悶え苦しんだ末に息絶えたという意味らしい。まさしくドラマの描写のとおりだ。

 九条兼実の日記『玉葉』によると、発病当初、清盛は「頭風」すなわち頭痛に悩まされたという。頭痛やめまいが起こり、高熱を発した末に痙攣を起こして死に至ったという症状から、死因は髄膜炎だったのではという説もある。また、清盛の盟友である藤原邦綱も同じ時期に似たような症状で死去していることから、同じ感染症で死んだのではないかとも考えられ、肺炎インフルエンザマラリアなどの可能性も指摘されている。いずれにせよ、当時の貴族たちの間では清盛の死は南都焼討の仏罰であるという認識が強かったようで、九条兼実は『玉葉』のなかで「清盛は本来骸を戦場に晒すべきところを、戦乱を免れて病没するとは運がよい」と述べつつ、その死が「神罰・冥罰によることは疑いない」と述べている。清盛の死をあからさまに喜ぶ者も少なくなかったようだ。

 『平家物語』の「入道死去」によると、死を目前にして妻・時子が、「此世におぼしめしをく事あらば、少しもののおぼえさせ給ふ時、仰をけ(この世に言い残しておきたいことがありましたら、意識がある間に仰ってください)と語りかけたところ、清盛は「今生の望一事ものこる処なし」と前置きした上で、「思ひをく事とては、伊豆国の流人、前兵衛佐頼朝が頸を見ざりつることこそやすらかね。(中略)やがて打手をつかはし、頼朝が首をはねて、わが墓の前に懸くべし」と語ったという。太政大臣天皇の外祖父と位人臣を極め、「わが人生に悔いなし」としながらも、どうにも気がかりなのは挙兵した源頼朝の動向、そして自身の死後の平家の行く末だったのだろう。

 さらに清盛は、側近の円実法眼後白河法皇(第77代天皇)のもとに送って「愚僧(清盛自身)の死後のことは万事宗盛に命じておいたので、いつでも宗盛と申し合わせて取り計らってほしい」と伝えた。しかし、それに対する法皇の返答は清盛が満足するものではなかった。これに怒った清盛は「天下のことはひとえに宗盛が取り計らうようにしたので異存はございますまい」と恫喝したという。死を目前にした清盛の言葉が脅しになるはずはなかったが、自身の死後も平家を守りたいという清盛の悲壮な思いが伝わってくる。しかし、はからずもこれが清盛の発した最後の言葉となった。清盛が八条河原の平盛国邸で息を引き取ったのは、その日の戌の刻(午後8時ごろ)であった。享年64歳。遺骸は荼毘に付され、播磨国山田の法華堂におさめられたとも、福原の経ヶ島に埋葬されたともいわれているが、正確な墓所は今もわかっていない。

 清盛によって栄華を極めた平家は、清盛の死を境に没落の一途をたどり、そして4年後の「壇ノ浦の戦い」に破れ、安徳天皇(第81代天皇)とともに滅亡する。これをわずか4年で滅んでしまったと見るか、4年も持ちこたえたと見るかは意見の分かれるところだが、いずれにせよ、平家の栄華は平清盛という巨星ひとりの存在によって維持されていたものだったということは、その死後の一族の動揺ぶりから見ても明らかである。まさしく「おごる平家は久しからず」、清盛の築いた平家政権は、その権威にあぐらをかき、結局清盛一代で終わってしまった。

 ただ、清盛の築いた平家政権は久しからずだったが、清盛が築こうとした武家政権は久しからずではなく、こののち鎌倉、室町、織豊、江戸と、約600年間もの長きに渡って継承されていく。その最初の扉を開けたのが平清盛で、その意思を受け継いだのが源頼朝だったというのが、このドラマの最大のテーマだったようだ。その意味では、平清盛はわが国史上随一の革命児だったといえよう。ドラマでの西行の台詞を借りれば、日本随一の武士(もののふ)だったと・・・。

 まさしく、平清盛なくして武士の世はなかった。


 1年間、拙稿にお付き合いいただきありがとうございました。秋以降、仕事が忙しく、起稿が遅れがちになっていましたが、なんとか最後までやり遂げることができてホッとしています。近日中に総括を起稿したいと思っています。


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by sakanoueno-kumo | 2012-12-25 02:20 | 平清盛 | Trackback(4) | Comments(0)  

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