八重の桜 第5話「松蔭の遺言」その1〜安政の大獄と吉田松陰〜

 江戸幕府大老・井伊直弼の断行した安政の大獄により、多くの志士たちが切腹死罪などの極刑に処せられましたが、そのなかのひとりに吉田松陰(寅次郎)がいました。松蔭は、このとき重罪を科せられた志士のなかでは、もっとも異彩を放つ人物といえます。というのも、安政の大獄によって処罰された者のほとんどは将軍継嗣問題で一橋派に与した者たちでしたが、松蔭の場合、その問題にはまったく関係しておらず、そればかりか、彼は安政期を通じてほとんど長州藩で幽囚生活を送っています。そんな彼が、なぜ死罪に処せられたのでしょうか。ここで少しばかり吉田松陰について触れてみます。

 嘉永7年(1854年)の2度目の黒船来航の際、黒船に乗り込んで密航を試みた罪で、郷里の萩へ送られ投獄された松陰でしたが、翌年には釈放され、自宅蟄居となりました。蟄居という身であるため、家から出ることは許されなかったものの、自宅で叔父の玉木文之進が開いていた「松下村塾」を引き継ぎ、後進指導にあたりました。蟄居の身である松蔭のこのような活動を黙認していたことに、長州藩の松蔭に対する寛大さがうかがえます。

 松下村塾の門下からは幕末維新から明治にかけての多数の人材が輩出されました。おもな門下生には、高杉晋作久坂玄瑞伊藤博文山縣有朋前原一誠品川弥二郎などがおり、木戸孝允もまた、松蔭の強い影響を受けたひとりです。松蔭がのちの明治維新に与えた影響は多大なものであったといえるでしょう。

 松蔭の松下村塾における教育方針は、厳正な規則を立てて生徒を率いるというものではなく、師弟相互に親しみ助け合い、尊敬信頼し、たがいに腹を割って交わるといったものでした。通常の塾のように師匠が一方的に教えるというかたちではなく、松蔭も弟子も一緒になって意見を交わし合うディスカッション方式をとり、机上の学問だけでなく、登山や水泳なども共にしたといいます。しかも、武士の者も足軽の子も平民の子も差別なしの教育でした。松下村塾における平等思想は、幕府を中心とする封建制の否定を意味していたのかもしれません。
 「かくすれば かくなるものと知りながら 已むに已まれぬ大和魂」
とは、松蔭の心情を述べた句として有名ですが、己の信ずるところを突き進む熱狂的な松蔭の教育は、当時の若者たちの心を大きく震わせるものでした。

 松蔭は、お隣の清国アヘン戦争によって西欧列強の植民地になった現実を知り、日本も同じ道を辿るのではないかと危惧し、藩単位でバラバラな日本の体制を憂います。そして、天皇を中心とした挙国一致体制をとるべきだと考えるようになるんですね。夷狄(異国)を打ち払い、天皇を中心とした政治を行うという、いわゆる尊皇攘夷思想です。やがてその思想は、幕府を否定する論調にまで及んでいきます。幕府にとっては、松蔭の存在自体が危険だったわけです。

 安政の大獄によって再び捕らえられた松蔭は、長州から江戸へ送られて取り調べを受けます。このときの幕府の取り調べは別の嫌疑についてでしたが、どういうわけか彼は、幕府の志士弾圧に憤慨し、老中・間部詮勝暗殺しようと計画したこと、公卿・大原重徳を長州に迎え、藩主をして重徳を擁立させようと計画したことなどを、自らすすんで告白しました。しかも、自身を死罪にするのが妥当だと主張したとか。このあたりが、後世に“狂人”と言わしめるところでしょうか。結局これが井伊の逆鱗にふれるところとなり、安政6年(1859年)10月27日に斬首となります。享年30歳。

 「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」
 (私の命がたとえ この武蔵野の野で終えることになっても、私の心はここに留めておこう。)


 ドラマでも使われていた松蔭の辞世の句ですが、これは彼の最期の著書となった「留心録」の冒頭に記されている句です。この言葉は、日本中の草莽の志士たちの心を奮い立たせました。自身の死をもって時勢を先導した吉田松陰。その過激さは、やはり“狂人”の域だったのでしょうか。

 ドラマでは出てきませんでしたが、もうひとつ松蔭の辞世の句として有名な言葉があります。

 「親思ふ心にまさる親心 けふのおとずれ何ときくらん」
 (子が親を思う気持ちより、親が子を思う気持ちのほうがはるかに大きい。私が処刑されたことを知ったら、親は何と思うだろう。)


 こちらの上の句は後世に有名ですね。先述の句が弟子たちに宛てたものだったのに対し、こちらの句は家族に宛てた言葉だと言います。親思う心にまさる親心・・・この句を聞けば、松蔭が決して狂人ではなかったことがわかりますね。

 「至誠にして動かざるものは 未だこれあらざるなり」
 (誠意を尽くしてことにあたれば、動かせないものはない。)


 松蔭にとっての「至誠」とは、この時点では死をもって訴えることしかなかったのかもしれません。その彼の誠の意志は、やがて後進に引き継がれて行きます。

 思いのほか長文になってしまったので、明晩、その2~桜田門外の変~に続きます。


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by sakanoueno-kumo | 2013-02-04 21:06 | 八重の桜 | Trackback(2) | Comments(0)  

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