出張ついでの尾張国紀行 その1 ~名古屋城~

もう1ヶ月ほど経っちゃったんですが、先月、名古屋出張の折、仕事の合間を縫って名古屋城に行ってきました(参照:尾張名古屋城なう!)。
今更ではありますが、そのときの旅記録です。

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名古屋城のある尾張藩は、周知のとおり徳川御三家のひとつで、慶長17年(1612年)、東海道の要所として、徳川家康が九男・徳川義直の居城として築城したものです。
以降は尾張徳川家17代の居城として明治まで利用されました。
名古屋城は、姫路城熊本城と並んで日本三名城のひとつとして数えられます。

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名古屋城は桜の名所でもあるそうですね。
ここを訪れたのは3月10日、残念ながら桜にはまだ少し早かったのですが、桜に似た花が咲いていたので撮影しました。
花には詳しくないので名前はわかりません。
(この日はあいにくの天気だったので、残念ながら暗い写真ばかりです)

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名古屋城が築城される以前にあった那古野城(なごやじょう)は、織田信長が生まれた城だといわれています。
那古野城は信長が清須城(清洲城)に本拠を移したため廃城になります。
その跡地に家康が名古屋城を建てました。

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名古屋城の築城は徳川家康から命じられた20名の助役大名たちによって工事が進められました。
いわいる「天下普請」による建築土木工事の一貫です。
なかでも、最も高度な技術を要した天守台石垣は、加藤清正の担当だったそうです。
清正は城づくりの名人として有名ですよね。
天守台石垣は、上部で外側に反り出した「扇勾配」の技法が採り入れられ、別名「清正流三日月石垣」とも言われているそうです。
この技法は、石垣を内側に湾曲させ石の重みと内側の土圧による力を分散させ、はらみを避けるため・・・と、現地案内看板に書いてありました(笑)。
一級建築士さながらの構造計算がなされているんですね。

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加藤清正の銅像です。
築城に関わったのは清正だけではないんですけどね。
やっぱ、知名度と後世の人気度の違いでしょうか・・・。

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あと、名古屋城といえば思い出すのが、金の鯱ですね。
名古屋城は別名「金鯱城」「金城」とも呼ばれ、大天守に上げられた金鯱(きんこ)は、名古屋の街の象徴的存在といえます。
現在のものは復元ですが、400年前の築城当初の金鯱は、215キログラム純金が使用されたといわれているそうです。
今の時価に換算すると、いくらになるのでしょう?・・・・見当もつきません。
(実物大だそうです↓↓↓)

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もっとゆっくり見たかったのですが、仕事の合間を縫って訪れただけに、小一時間ほど足早に見て回っただけでした。
このあと、清洲城にも行ったので、また後日起稿します。


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by sakanoueno-kumo | 2013-04-11 22:28 | 愛知の史跡・観光 | Comments(0)  

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