出張ついでの尾張国紀行 その2 ~清洲城~

先日の続きです。(参照:出張ついでの尾張国紀行 その1 ~名古屋城~
名古屋城を訪れたその足で、おとなりの清須市にある清州城に足を運びました。
時刻は午後6時を過ぎて暗くなり始めていたのですが、せっかく名古屋に来たので無理やりやってきました。
まあ、あくまでこの日の目的は仕事なので、贅沢は言ってられませんね。
立ち寄れただけでもラッキーかな・・・と。

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清洲城は、名古屋城が築城される前の尾張国の中心で、若き日の織田信長の居城としても知られています。
清須城とも書きますね。
信長は、この城から「桶狭間の戦い」に出陣するなど、20歳代の約10年間、この城を拠点として活動しました。
永禄5年(1562年)に徳川家康との間で結ばれた軍事同盟、いわゆる「清洲同盟」も、この城で結ばれたわけですね。
いうなれば、信長の天下取りはここから始まったといっても過言ではないでしょう。

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清州城といえば、もうひとつ思い出されるのが、天正10年(1582年)の「本能寺の変」で信長が落命したあと、織田家の後継者と領地の分配が話し合われた、有名な「清州会議」ですね。
信長の三男・織田信孝を擁立する柴田勝家と、信長とともに落命した嫡男・織田信忠の嫡男で、信長から見れば嫡孫にあたる三法師(織田秀信)を擁立する羽柴秀吉との対立のエピソードは、この時代の物語には欠かせない舞台です。
秀吉の天下取りもまた、この城が大きなターニングポイントになったわけですね。
名古屋城や大坂城に比べると小さな城ですが、歴史上では大きな存在価値の城といえます。

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現在の天守閣は平成元年(1989年)に想像で復元されたものだそうで、その向かいにある本来の城跡は、「清洲古城跡公園」として整備されています。
そこには、若き織田信長の銅像がありました。

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現地案内看板によれば、この銅像は信長26歳の永禄3年(1560年)、「桶狭間の戦い」に出陣する姿をイメージした銅像だそうで、桶狭間の方向を見据えているそうです。
そしてその傍らには、心配そうに見つめる濃姫の銅像が・・・。
まるで、貫一・お宮のようです(笑)。

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地元ではここを「始まりの地〜二人の愛と希望の丘」と称し、夫婦円満、恋愛成就のパワースポットとなっているそうですが、実はこの濃姫という女性、斎藤道三の娘で信長と政略結婚したということ以外、何もわかっていないんですね。
正室でありながら史料がほとんど残っておらず、嫁いだ後の消息は早世説離婚説など諸説あって、一説には、その実在性すら疑問視する研究者もいるほどで・・・。
夫婦円満のパワースポットとしてどれほどの効力があるか微妙ですけどね(笑)。

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永禄6年(1563年)にこの城を出て小牧山城に移った信長は、その後も岐阜城安土城と拠点を移していきますが、ここ清洲城はその後も織田氏のものとして、次男の織田信雄が相続します。
信長にとっては、本当に「始まりの地」という思い入れがあったのかもしれませんね。
戦国一の英傑の、若き日の思いに少しだけふれたような気がした、夕暮れどきでした。


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by sakanoueno-kumo | 2013-04-14 00:05 | 愛知の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)  

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Commented by heitaroh at 2013-04-26 18:43
清須は私も10年ほど前に行きましたが、名古屋駅からすぐ(隣?)なのに、いきなり田舎になることにびっくりしました。
Commented by sakanoueno-kumo at 2013-05-02 23:47
< heitarohさん

私ははじめて訪れたのですが、名古屋城とこんなに近いとは知りませんでした。
今度はもっと余裕を持って行きたいと思います。

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