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軍師官兵衛 第6話「信長の賭け」  ~栗山善助・母里太兵衛・井上九朗右衛門~

 青山・土器山の戦いで多くの家臣を失った黒田官兵衛は、新たな家臣を集める必要がありました。このときスカウトされた家臣たちが、のちに黒田二十四騎と称された家臣団の中核をなす存在となっていきます。今回は、官兵衛の家臣たちについて少しふれてみましょう。

 まず、ドラマ第2話からずっと官兵衛に付き従ってきた栗山善助利安は、15歳で官兵衛に仕え、以後ずっと官兵衛の側近中の側近として活躍します。正直で実直な性格だったため、官兵衛が「善助」と名づけたとか。武勇も知略も兼ね備えた人物だったようで、家臣団のなかでは、ずっとリーダー的立場でした。青山の戦いで初陣を飾って以降、戦のたびに勲功をあげた善助は、後年、黒田家が筑前福岡藩に移封されると、筆頭家老に列せられ、1万5千石の大身となります。しかし、善助はどれほど出世しようとも、万事控えめで、質素で、決しておごり高ぶることはなかったといいます。まさしく、名前の通りの人物だったようですね。

 その善助と義兄弟の契を結んでいたとされるのが、母里太兵衛友信です。母里は、「もり」と読むのが一般的ですが、「ぼり」と読む場合もあります。青山・土器山の戦いでほぼ壊滅状態になった母里一族でしたが、官兵衛の父・黒田職隆に仕えていた曽我一信と母里氏の女との間の子・万助に母里姓を継がせ、母里太兵衛友信と名乗らせます。太兵衛14歳のときでした。身の丈6尺を超える大男で、気が荒く強情な性格だった太兵衛に対して、官兵衛は善助を世話役にあて、「こののち太兵衛は善助を兄とし、善助は太兵衛を助け、太兵衛は善助の言いつけに背いてはならない」と命じたそうです。太兵衛はその言いつけを生涯守り、善助のいうことだけは聞いたとか。眉が太く髭も濃く、槍術に優れた剛力な勇将といったイメージで、民謡『黒田節』の逸話にもあるように、底なしの酒豪だったようです。「豪傑」を絵に書いたような人物だったようですね。決して、オリーブオイルの料理が得意な色男ではなかったようです。

 善助に次いで家臣団ナンバー2の立場にいたのが、井上九郎右衛門之房です。九郎右衛門は職隆の時代から黒田家に仕え、その後、官兵衛、長政、忠之の4代に仕えた人物です。九郎右衛門は礼儀正しく律儀な人物だったといわれますが、善助や太兵衛に比べて官兵衛に仕えたのは遅く、隠居した職隆にずっと仕えていました。したがって戦の経験は少なく、身体も小さくて力も劣っていたといいます。一方で、黒田二十四騎のなかで特に武勇にすぐれた8人「黒田八虎」の筆頭にあげられているところから見ると、武術の心得はあったのでしょうね。九郎右衛も善助と同じく、のちに2万石近い大身となります。

 善助、太兵衛、九郎右衛門、この3人で、のちに官兵衛が荒木村重によって有岡城幽閉されたとき、伊丹の商人の助けを得て牢に近づき、官兵衛に播磨の情勢などを伝え、その後、有岡城落城のときには、官兵衛を土牢から救出します。おそらくドラマ前半の山場となるであろう有岡城の戦いの役者は揃いましたね。歴史の謎とされる荒木村重の謀反の動機。こののち、村重がどのようにして織田信長に反旗を翻すに至るのか、楽しみに観てみることにしましょう。


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by sakanoueno-kumo | 2014-02-10 21:01 | 軍師官兵衛 | Trackback(2) | Comments(0)  

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