播磨の小京都、龍野をたずねて その1 「龍野城」

2ヵ月ほど前になっちゃいましたが、なんとか1日だけ休めたゴールデンウィークのある日、兵庫県の西南部に位置する龍野を訪れました。
龍野のいまの正式名称は「たつの市」です。
たつの市は、小泉政権時代の市町村合併の際に、龍野市、新宮町、揖保川町、御津町が合併してできた市で、吸収合併のような印象を拭うため、ひらがなに改名したとか。
同じような理由でひらがなの自治体名にした例は、全国にもたくさんあるそうですが、なんとも残念な話ですよね。
いうまでもなく、地名の由来には歴史と風土が刻まれているわけで、ここ龍野に至っては、約1300年前の8世紀はじめに編まれたといわれる『播磨国風土記』にも確認される地名だそうで(同史料の中では「立野」)、そんな、いにしえより続いてきた名称を、それぞれの自治体の譲れない理由があったにせよ、軽々しく変えてしまっていいものだろうか・・・と思いますよね。
まあ、おそらくそんな議論は山ほどし尽くされて、それでもそこしか着地点がなかったんでしょうけどね。
残念な限りです。

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で、その龍野ですが、「播磨の小京都」と呼ばれる脇坂家5万3千石の城下町で、背後には小高い山々が連なり、市内中央を南北に清流・揖保川が流れ、白壁の土蔵や武家屋敷など風情ある家並みがつづく静かなまちです。
歴史的には、山陽道から因幡街道に抜ける交通の要衝の地として、古くから栄えてきました。
寛文12年(1672年)に信州飯田から脇坂安政が移封して以来、明治維新まで200年間、脇坂家の所領として続きました。
脇坂家とは、あの賤ヶ岳の七本槍のひとりとして知られる脇坂安治を始祖とする家ですね。
この日、まず訪れたのは、その脇坂安政が築城したという龍野城です。

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写真は隅櫓ですが、石垣のみが当時のもので、建物は昭和の再建です。
背後に見えるのは鶏籠山
もともとは、明応8年(1499年)に赤松村秀が鶏籠山の山頂に城郭を築いたのが龍野城(鶏籠山城)の始まりでしたが、天正5年(1577年)に羽柴秀吉によって開城され、それから約100年後に脇坂家が城主となったとき、山頂の城郭は放棄され、山麓居館部のみの陣屋形式の城郭になったそうです。
今年の大河ドラマ『軍師官兵衛』でも、前半たびたび龍野赤松氏が出てきましたが、あそこに出てきた龍野城は、山頂の城のほうということになりますね。

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本丸正面に復興整備された埋門です。

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本丸御殿です。
こちらも、昭和54年(1979年)に再建されたものです。

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隅櫓の下から撮影しました。

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向こうに見えるのは隣接する龍野小学校のプールですが、その入口はというと、

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龍野小学校水練場となってました(笑)。
景観を損ねないための配慮、頭が下がります。

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この日はあいにくの雨だったのですが、雨の城下町の風情もまた、おつなものでした。
まち全体が景観を大切にしていることがうかがえるつくりで、逍遥するにはいいところですね。
そんなわけで、少しばかり備忘録にお付き合いください。

後日その2につづきます。

播磨の小京都、龍野をたずねて その2 「野見宿禰神社~聚遠亭」
播磨の小京都、龍野をたずねて その3 「童謡の里~三木露風の故郷」
播磨の小京都、龍野をたずねて その4 「龍野淡口醤油」
播磨の小京都、龍野をたずねて その5 「宮本武蔵修練の地・圓光寺」

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by sakanoueno-kumo | 2014-07-09 19:56 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

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