天空の城・洲本城 探訪記 その2 〜黒田官兵衛の武勇伝ゆかりの地〜

昨日のつづきです。
洲本城の最初の城主だった安宅氏は、羽柴秀吉淡路討伐の際に滅ぼされたという話を昨日の稿でしましたが、その際、当時の洲本城主だった安宅清康を討ち取ったのは、今年の大河ドラマの主役・黒田官兵衛だったという説があります。
戦略家として名高い官兵衛ですが、この戦いでは珍しく自ら刀を振るって戦功を上げたといわれ、安宅清康は官兵衛が自ら手をかけた数少ない武将だったと伝えられます。
このとき使用した刀は、のちの「安宅切」と名付けられます。

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ただ、最近の研究では、秀吉の淡路討伐は天正9年(1581年)ではなく、天正10年(1582年)の誤りであったとも言われ、官兵衛は参戦していなかったとする説が浮上してきているようです。
たしかに、有岡城幽閉から救出されて間もない官兵衛が、自ら刀を振って武功をあげたという武勇伝は、少々無理があるようにも思えますね。

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江戸時代に入り、姫路城の城主だった池田輝政の三男・池田忠雄が淡路国の領主になったとき、洲本城は廃城になり、岩屋城由良成山城と拠点を移しますが、大坂夏の陣のあと、阿波国の蜂須賀至鎮が領主となり、その筆頭家老である稲田氏が城代となると、その後、ふたたび拠点を洲本城に戻します。
このときの移転は、「由良引け」と呼ばれるたいそう大規模な移転だったようです。

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このときより、洲本は淡路国の政庁として定められ、明治維新まで稲田氏が城代を務めます。
ただ、平時となった由良引け以降は山頂の城は使用されず、三熊山の麓に新しく築かれた城を居城としたそうです。
だから石垣の傷みが少なく綺麗に保存されているんでしょうね。

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天守からの眺めです。
この日は少しがかかっていたので残念ですが、空気が澄んだ日には、大阪は堺の紀淡海峡から大阪湾を経て神戸までの大パノラマを一望できるそうです。

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昨今、同じ兵庫県内にある竹田城が、「天空の城」として人気ですが、ここもある意味「天空の城」といえます。
あちらが雲海の上に浮かぶ城なら、こちらはまさに本物の海の上に浮かぶ城といったところでしょうか。
メディアの取り上げ方次第では、人気観光スポットになれるのではないかと。
竹田城のように観光客がいっぱいになる前に、一度足を運んでみられてはいかがでしょうか?

天空の城・洲本城 探訪記 その1 〜日本最大級の石垣と日本最古の模擬天守〜

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by sakanoueno-kumo | 2014-07-31 19:49 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)  

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Commented by heitaroh at 2014-08-05 15:06
昔は第一次四国征伐とか言われてましたよね。
確かに、病み上がりで、そんなに右から左へと移動できるのかなとは思ったのですが。

それにしても家族旅行・・・。
羨ましい。
Commented by sakanoueno-kumo at 2014-08-06 00:50
< heitarohさん

ただ、官兵衛が淡路討伐に加わっていなかったとする説も、新説ではありますが一つの説に過ぎません。
Wikiでは、旧来の説を採っていますしね。
ただ、私個人的には、新説のほうが合点がいく気がします。

家族旅行というほどのものではありません。
神戸から車で約1時間ほどの距離ですから。
今年から明石海峡大橋の通行料がグッと安くなりまして、いままで近くて遠い場所だった淡路が、行きやすくなりまして・・・。
以前は橋を渡るだけで往復5000円以上かかりましたからね。
それが今年から、往復1800円。
行かない手はないかなあと。

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