雨の但馬路紀行 その3 「但馬の小京都・出石城跡」

先週の続きです。
竹田城跡からハチ北高原で宿泊した翌日、「但馬の小京都」と呼ばれる出石のまちを訪れました。
現在は平成の大合併によって豊岡市の一地区となった出石ですが、かつては出石郡出石町として独立していた町で、歴史的に見ても、応仁の乱の西軍の総大将だった山名宗全の本拠として、但馬国の中核を担っていた町です。
山名宗全は、「その2」で紹介した竹田城を最初に築城した人物でもありますね。

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まずは、まちを見下ろす出石城の紹介です。
出石城は関ヶ原の戦い後の慶長9年(1604年)に出石藩2代目藩主・小出吉英によって築城されました。

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山名氏の守護時代は、ここから3kmほど離れたところの此隅山城を居城としていましたが、永禄12年(1569年)の羽柴秀吉但馬攻めで落城します。
その後、秀吉軍と和睦した山名祐豊は、天正2年(1574年)に標高321mの有子山山頂に有子山城を築いて本拠としますが、その後、山名氏は毛利氏方についたため、天正8年(1580年)の秀吉による第二次但馬征伐で有子山城も落城し、かつて日本を二分した応仁の乱の一方の総帥だった但馬国山名氏は、ここに滅亡します。

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その後、秀吉の家臣だった前野長康、そして小出吉政が有子山城主を務めますが、徳川の時代に入ると、有子山の麓に建てられた出石城に本拠が移され、有子山城は廃城となります。
竹田城と同じく、平和な時代に入ると山城は不便ですからね。
このとき、城下町も整備されたそうです。

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その後、徳川幕府によって制定された一国一城令により、但馬国唯一の城郭となります。

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やがて9代続いた小出氏は無嗣改易となり、その後、出石藩主は松平忠周から仙石政明へと引き継がれ、以後、廃藩置県まで仙石氏7代の居城となります。

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明治に入って廃城令により出石城は取り壊されますが、石垣はそのまま残されており、昭和43年には本丸跡に東西の隅櫓が、平成6年には登城門・登城橋が復元されます。

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城跡最上段の本丸のさらに一段高い場所には、有子山稲荷神社があり、そこへ向かう参道には、朱色の鳥居37基も並び、157段の石段があります。

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京都の伏見稲荷大社みたいで、神秘的な空間を演出していました。

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さらに石段を登ると、有子山城跡へ向かう登山口がありました。
しかし、この日は天気が悪かったことと時間がなかったこともあって、ここで断念。
また今度、機会を作って山頂の城跡まで足を伸ばしてみたいと思います。

続いて「その4」では、出石の城下町を逍遥します。

雨の但馬路紀行 その1 「ハチ北高原・ロッヂ野間」
雨の但馬路紀行 その2 「日本のマチュピチュ・竹田城跡」
雨の但馬路紀行 その3 「但馬の小京都・出石城跡」
雨の但馬路紀行 その4 「日本最古の時計台~辰鼓櫓~」
雨の但馬路紀行 その5 「近畿で最も古い芝居小屋~出石永楽館」
雨の但馬路紀行 その6 「桂小五郎潜伏の地、出石」
雨の但馬路紀行 その7 「出石そば打ち体験」

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by sakanoueno-kumo | 2014-08-29 18:17 | 兵庫の史跡・観光 | Comments(2)  

Commented by heitaroh at 2014-09-06 14:15
そういえば、先日、日本三大稲荷・・・ってのが載ってましたが、伏見と祐徳稲荷ともう一つ、豊川稲荷でしたっけ?
津和野もこんな感じなので、津和野は入らないのか聞いたら、四大稲荷だと入る・・・と言われました(笑)。
Commented by sakanoueno-kumo at 2014-09-06 15:54
< heitarohさん。

三大稲荷とか四大稲荷とかがあるんですね。
いずれにせよ、わたしは伏見以外行ったことがありません。
全国にお稲荷さんは何万もあるそうですから、三大、四大以外でも、趣きのある場所がたくさんあるんでしょうね。

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