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軍師官兵衛 最終回「乱世ここに終わる」その2 ~エピローグ~

 前稿のつづきです。
 関ヶ原の戦いにおける黒田長政の活躍によって、黒田家は筑前国名島に52万3000石を与えられます。新天地に入国した黒田官兵衛・長政父子は、さっそく博多のそばに新しい城の建設を開始。同時に、この地を「福岡」と名づけます。これ以後、長政を藩祖とした福岡藩黒田家は、幕末まで12代続きます。

 そして徳川家康征夷大将軍に任じられ、江戸幕府が開かれた慶長8年(1603年)頃から、官兵衛は病に伏すところとなります。その頃から、官兵衛はどういうわけか、人が変わったように家臣に冷たく当たるようになり、難癖をつけては罵るようになったといいます。家臣たちは官兵衛の激変に「ご乱心」と恐れおののいたといいますが、見かねた長政が諌めたところ、官兵衛は「そちのためにやっているのだ。」と囁きます。曰く、家臣たちに酷い仕打ちをするのは、自分が疎まれることで、早く長政の代になってほしいと家臣たちに思わせるためだと・・・。自分が憎まれることによって、長政の求心力を高めようと考えたんですね。

 また、当時は主君が亡くなると家臣が殉死する習慣があったため、これを防ぐ狙いもあったのだとか。有能な家臣が殉死して黒田家家臣団が弱体化することを恐れたというわけですね。いずれも実話かどうかはわかりませんが、人生の最期の最期まで、合理的知略に富んだ逸話が絶えません。と同時に、官兵衛の長政に対する親心もうかがえますね。このエピソードもドラマで演ってほしかったなぁ・・・。

 慶長9年(1604年)に入って、いよいよ死期を悟った官兵衛は、股肱の臣である栗山善助を呼びつけ、自身の愛用していたを授けます。本来であれば、息子の長政に引き継ぐべきものですが、官兵衛はあえてこれを善助に託すことで、長政への忠誠心を今一度促し、また、長政には善助を父のように思うようにと言い残しました。そして、3月20日、黒田官兵衛はその波乱に満ちた生涯の幕を閉じます。享年59歳。その辞世の句は、

 「おもひをく 言の葉なくて つゐに行く 道はまよはじ なるにまかせて」

 「いっこうに悔いが思い浮かばぬ」といったドラマの官兵衛の台詞は、この辞世の句からきたものでしょうね。言い残す言葉もなく、ついにあの世にいくことになったが、その道は迷うことなく、なるようにまかせよう・・・・。人生の最期にこんな言葉が言えるのは、精一杯生きてきた者だけでしょうね。

 「殿、よく生き抜かれましたなぁ・・・。」

 そう言った妻・は、官兵衛の死後、出家して院号を照福院とし、官兵衛の死から23年、息子の長政より長生きします。

 織田信長にその才を見出され、豊臣秀吉を天下人に押し上げ、徳川家康に一目置かれた智将・黒田官兵衛。一方で、その人となりは、生涯名利を好まず、質素倹約を旨とし、戦国武将としては地味な存在の武将といえるでしょう。しかし、そんないぶし銀的な生き方が、官兵衛の魅力だとわたしは思います。それが、官兵衛をして「天下を取ってほしい」という思いに繋がるのでしょうね。もし、官兵衛が天下人になっていたら、歴史はどう変わっただろうと・・・。でも、歴史は官兵衛を天下人に選びませんでした。黒田官兵衛という人物に与えられた歴史的役割は、やはり、「軍師官兵衛」だったということですね。


 1年間、拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。今年も、なんとか完走出来て安堵しています。年内には総括を起稿したいと思っています。



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by sakanoueno-kumo | 2014-12-23 22:43 | 軍師官兵衛 | Trackback(1) | Comments(4)  

Tracked from ショコラの日記帳・別館 at 2014-12-24 23:01
タイトル : 【軍師官兵衛】最終回感想と視聴率「乱世ここに終わる」
副題「乱世ここに終わる」 新聞ラテ「乱世ここに終わる~遂に決着!波乱の生涯最後に... more
Commented by heitaroh at 2014-12-24 00:01
お疲れさまでした。一年間、本当に勉強になりました。
て、長政の時代は50万石、52万石になったのは三代光之の代からだと思うのですが違ってましたか?(^-^;
Commented by sakanoueno-kumo at 2014-12-24 14:07
< heitarohさん

そうでした。
でもって、その50万石も、実際の石高より過大申告した粉飾決算だったのではないか?・・・というのが、貴著の見解でしたね。
ただ、一方で、Wikiなどには、実高は100万石あったなどと記されていたりします。
わたしは、その辺はまったくもって知識がありませんので、何が正しいのかよくわかりません。

ちなみに、最終回の放送が終わってから、どういうわけか貴著を紹介した拙稿にアクセスが集まっているようです。
どうも、三代目忠之を検索してヒットしているようで・・・。
また、増刷が必要かもしれませんよ。
Commented by SPIRIT(スピリット) at 2014-12-25 10:10 x
まずは、1年間お疲れ様でした。

官兵衛や長政が死んだあとも、黒田騒動があったりして黒田家は前途多難みたいでしたけどね。
それでも、始祖の官兵衛や長政がしっかりしていたからこそ大大名になれたものかと。

ケチで質素な生活を好んだ、というのは徳川家康もそうなんですけどね。
加藤清正も玄米を食べるよう家訓に遺したという話だし。
天下を取るには運も必要で、運もまた実力のうちだとふと思ったりします。
Commented by sakanoueno-kumo at 2014-12-25 17:33
< SPIRIT(スピリット)さん

その黒田騒動を引き起こした忠之の暗愚説を、否定しているのが上記コメントいただいたheitarohさんの著書『黒田家三代』です。
たいへん面白いので、よければ読んでみてください。
以前、当ブログで紹介した稿です。
  ↓↓↓
http://signboard.exblog.jp/14168843/

運も実力・・・と言うより、運をつかむ、あるいは運気を逃さない力がある人が、出世する人なんでしょうね。

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