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阪神・淡路大震災から20年の節目に思う。

6434人の方が亡くなり、3人の方が行方不明になった阪神・淡路大震災の発生から、今日で20年となりました。
毎年この日は各地で追悼行事が行われていますが、20年という大きな節目となる今年は、例年以上に大きな規模で催されているようですね。
兵庫県公館で催される式典には、10年ぶりに天皇・皇后両陛下も出席されるとか。
テレビもラジオも、昨日から各局、震災特番ばかりのようです。
それらを目にするにつけ、改めて、20年もの長い年月が流れたことを実感します。

阪神・淡路大震災から20年の節目に思う。_e0158128_15292922.jpg

ただ、あれからずっと神戸で暮らしてきたわたしたちからすれば、20年といっても、そんなに昔の出来事とは思えないんですね。
震災後、がむしゃらに生きていたら、いつの間にか20年も経っていた・・・そんな気分です。
わたしは昭和42年生まれですが、わたしが子供のころ、よく大人たちが戦争の話をしていましたが、当時こどもだったわたしは、「また大昔の話が始まった」と、うっとうしく感じたものでした。
そんなわたしも、いま息子や娘をつかまえて、「お前が赤ん坊のころ、神戸で大きな地震があってな・・・」てな具合に震災の話をします。
こどもたちは、昔のわたしと同じく面倒くさそうに聞いていますが・・・。
わたしにしてみれば、震災はついこの前のような感覚なんですが、彼らにとっては、学校で習う歴史上の出来事なんでしょうね。
思えば、私がこどものころは戦後20数年しか経っていないころだったわけで、当時の大人たちが戦争を語るのは、いまわたしが震災を語るのと同じ感覚だったんですね。
今朝の新聞によると、震災後出生した市民は19%に、震災を知らない市民は40%に上るとか。
わたしたちが戦争を知らないこどもたちであるように、震災を知らないこどもたちとわたしたちとでは、思いを共有できないのは仕方ないことだと思います。
それを、風化というのでしょうね。

昨日、今日と、マスコミが挙って震災を特集していることを受けて、こんなときだけじゃなくもっと普段から神戸に目を向けてほしい・・・といった声を耳にしますが、わたしは、これで良いと思っています。
神戸市民は、いまでも震災前、震災後で語る人が多いですが、もはやそういう時期は過ぎたんじゃないでしょうか。
神戸は、復旧はしたけど復興はしていないといって未だに行政を責める声もありますが、たしかにそういう側面があることは否定しませんが、いつまでもそんなことを言っていても前には進めません。
20年が経ったいま、そろそろ震災都市・神戸を脱却すべきなんじゃないでしょうか。

ただ、ひとつ節目として、1月17日だけは当時を振り返る日であればいいと思います。
今日だけは、6434人を追悼し、あの日幸運にも命を落とさずに今に至ることを感謝し、そして、こどもたちにうっとうしがられながらも、当時のことを語るべき日なのかなあと。
それが、震災を知る私たちの使命なんじゃないかと、20年経ったいま思うところです。

ちなみに、今日1月17日は、わたしの誕生日です。
震災当日、28歳の誕生日だったわたしも、今日で48歳になりました。
6434人の命日と同じ日となってしまったわたしの誕生日ですが、そのおかげで、いつまでも震災のことを忘れることが出来なくなりました。
わたしの誕生日は、立ち止まって思いを馳せる日です。

過去6年間の1月17日の拙稿です。
よければ一読ください。
    ↓↓↓
阪神・淡路大震災から19年、いま思うこと。
阪神・淡路大震災から18年、いま思うこと。
阪神・淡路大震災から17年、今思うこと。
誕生日に思う。~阪神・淡路大震災から16年。
今日は私の誕生日。そして阪神・淡路大震災から15年。
震災から14年。そして私の誕生日。今、思うこと。


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by sakanoueno-kumo | 2015-01-17 15:30 | 日常 | Trackback | Comments(2)  

Commented by heitaroh at 2015-01-17 17:17
もう、20年も経ったんですねえ。我々の子どもたちからすれば自分が生まれる前後の出来事、肝に銘じろというほうが無理なのかもしれません。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-01-17 21:06
< heitarohさん

骨折したことがない人に骨折の痛みを感じろ、と言っても無理なこと。
震災を語り継ぐことは大切ですが、我々と同じ思いで震災をこの日を迎えろというのは、無理なことですね。
その意味では、戦争も同じかもしれません。
終戦記念日と言われても、戦争を知らないわたしたちは、とくに思いをはせることはないですから。

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