二度と見られない兵庫城跡を訪ねて その1

先日、発掘調査中の兵庫城跡の一般公開に行ってきました。

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これまで兵庫城は、おおまかな位置は想定されていましたが、古文書などの史料が残っていなかったため、詳しいことはわかっていませんでした。
この地は神戸中央卸売市場の跡地で、2009年に老朽化のため市場が移転したあと、神戸市から土地を買い受けたイオンモールが建設される予定でした(2012年には、一時的に大河ドラマの広報事業で、平清盛歴史館が建てられていた場所です)。
イオンモールの建設に入った2012年、同地から石垣の一部が見つかったため、イオンモールの協力もあって工事を延期し、発掘調査にあたってきたそうです。
その調査もこの2月で終わりだそうで、今回が最後の一般公開だと聞き、寒空のなか寸暇を惜しんで行ってきました。

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上の画像がグーグルアースの画像で、下の画像が元禄時代に描かれた『摂州八部郡福原庄兵庫津絵図』、そのクリーム色で塗られた部分が、今回の発掘現場です。
今では、兵庫新川運河で半分以上が水没してしまっていることがわかります。

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今回の調査で、かなり詳細に遺構が浮かび上がり、築城当初の構造まではっきりしたそうです。

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兵庫城は、天正9年(1581年)に織田信長の家臣だった池田恒興によって築城されます。
恒興は、以前の当ブログでも紹介しましたが(参照:荒木村重ゆかりの摂津路逍遥 その3 ~花隈城跡~)、信長に対して謀反を起こした荒木村重の籠もる花隈城を攻め落とし、その功により信長から兵庫の地を与えられますが、一部焼け落ちてしまった花隈城には入城せず、取り壊して兵庫城を築きます。
その際には、花熊城を解体した石材を使用したとの記録があります。

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写真は外堀内側の石垣です。
調査によると、内側の石垣は築城当初のもので、外側の石垣は、江戸時代に造られたものだとわかったそうです。
この石垣の中には、おそらく花隈城から移設された残材が含まれているのでしょう。

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こちらは外堀外側の石垣。
よく見ると、お地蔵さんの石が削られて使用されています。

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こちらを見ると、どう見ても天然石とは思えない四角い石があります。
これは、五輪塔の一部だそうで、つまり、墓石だそうです。

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外堀の幅は最も大きな所で18.5mあり、戦国時代の実戦的な城だったことがわかります。
兵庫城は、わずか1年半で建てられたといいますから、相当な突貫工事だったでしょうね。
恒興の次男で、のちに姫路城を今の規模に修築した池田輝政が、この築城にたずさわっています。
のちに城造り名人といわれる輝政ですが、このときは若干16才、おそらく彼の最初の作品が兵庫城だったのではないでしょうか。

長くなったので、明日に続きます。

二度と見られない兵庫城跡を訪ねて その2
二度と見られない兵庫城跡を訪ねて その3

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by sakanoueno-kumo | 2015-02-04 22:21 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

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