二度と見られない兵庫城跡を訪ねて その3

シリーズ最後です。

江戸時代も後期に入った明和6年(1769年)兵庫津一帯は尼崎藩領から離れ、幕府の直轄領となります。
このとき、兵庫陣屋の敷地を縮小して「勤番所」となり、兵庫城の堀も幅2間分(約3.6m)を残して埋め立てられ、町人地として払い下げがおこなわれました。

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外堀の外にある、町屋街路の跡です。
いわゆる城下町ですね。
調査によると、何度も火災に遭いながらも再建し、町屋を営み続けていた様子が明らかになったそうです。
その一軒一軒の町屋の区画は、何度も何度も同じ区画のまま踏襲されていることがわかったそうで、その礎石も、ほとんど同じ場所に敷かれていたことが明らかになったそうです。

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写真は、街路を掘った断面です。
何層にもなっているのが、その時代時代の道の跡だそうで、グレーの部分が地表、茶色の部分が埋められた土だそうです。
焼けては埋めて道を造り、また焼けては埋めて道を造る、そうした250年の繰り返しの歴史の跡が、この地層だそうです。
すごいですね。

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出土品も数多く展示されていました。

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明治元年(1868年)5月、この場所に兵庫県庁が置かれ、初代知事にのちの初代内閣総理大臣・伊藤博文が赴任します。
初代兵庫県知事が伊藤博文ということも、知らない人が多いですよね。
しかし、わずか4ヶ月で県庁は現在の中央区に移転。
その後、明治6年(1873年)までは外郭となっていた土塁が残っていたようですが、市街地発展のため取り除かれ、翌年には大規模な兵庫港改修工事が始まり、兵庫新川運河の開削によって、兵庫城はほとんど破壊されてしまいます。
今となっては、なんで史跡として残さなかったのかと思ってしまいますが、城跡を史跡とみなすようになったのは近年のことで、明治新政府の発足当時は、城跡は無用の長物でしかありませんでした。

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兵庫城が水没した兵庫新川運河です。
上の写真左側に少し写っているのが、今回の発掘現場ですね。
下の写真は、運河の東側から西側の発掘現場に向かって撮影したものです。
この運河が出来たことによって、船を風や波から守る避難泊地として大いに活躍し、それまで頻繁にあった海難事故激減したそうです。
当時、神戸港発展のためには、不可欠な工事だったということですね。
兵庫城が運河の底に消滅したのも、やむを得ないことだったのでしょう。

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現在、その運河西側の遊歩道に、「兵庫城跡、最初の兵庫県庁の地」と刻まれた碑が立っています。

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運河西側から発掘現場を望む場所に、城跡を見守るかのように無数のかもめが整然と並んでとまっていました。
あまりにも印象的だったので、思わすシャッターを切りました。

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まるで、発掘調査を見守るかのようですね。

こののち、発掘調査は終了して、当初の予定どおりイオンのショッピング施設が建設されます。
イオンモール側にしてみれば、金を出して神戸市から土地を買ったにもかかわらず、この発見のおかげで工期が延期になり、迷惑千万な話だったと思いますが、われわれ歴史ファンの無責任な意見としては、これほど立派な遺跡が発掘されたのに、調査が終われば破壊というのは、なんともやりきれない思いです。
これまで謎だった兵庫城は、地元神戸市民ですら、その存在自体を知らない人のほうが多かったと思います。
今回の発見は、学術的価値だけでなく、神戸市民、兵庫県民の宝でもあると思います。
この歴史的遺産が、こののち完全に破壊され、もう二度とその姿を表すことはありません。
残念でならないですね。
もう決まったことでしょうから、今更わたしがここで訴えても、どうなるものでもないでしょうが、なんとか遺跡を残してほしいと思っているのは、きっとわたしだけではないでしょう。
明治の運河開削はやむを得ななかったのかもしれませんが、平成のショッピングモール建設は、400年前の歴史的遺産を破壊してまで建てなければならないものでしょうか?
いったん神戸市がイオンモールに売ったものを、ふたたび買い戻すなどといったことがあり得ないことはわかっています。
ですが、400年前の先人たちからのメッセージを、どうにか保存する手立てはないものかと、素人ながら思う次第です。
壊してしまったら、もう二度と元へは戻せないですからね。


二度と見られない兵庫城跡を訪ねて その1
二度と見られない兵庫城跡を訪ねて その2

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by sakanoueno-kumo | 2015-02-06 16:54 | 神戸の史跡・観光 | Comments(4)  

Commented by kanageohis1964 at 2015-02-06 18:31 x
こんにちは。

位置がはっきりしていなかったとは言え、おおよその位置の目処はあったでしょうから、敷地内にまだ城の遺構がある可能性は多少なりとも知られていたのではないかとも思います。ただ、既に運河で掘り割られてしまっていることなどもあって、遺跡が出ても保存するだけの価値が無いのではないかと、売却前に目算していたのかも知れません。
こうなってしまった以上、今回の発掘調査で「掘り忘れた」ものがない様にだけはして欲しいところですね。ここで記録されたものが「最終報告」として全てということになるので、最下層まで隈なく調べ尽くすことが大事になります。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-02-07 00:13
< kanageohis1964さん

コメントありがとうございます。
今回の説明会の話では、室町時代の層まで掘り起こしたと言ってましたので、たぶん掘り忘れはなかったんじゃないでしょうか。
おっしゃるように、おおよその目処は立っていたようで、イオンモールさんに売却する条件のなかに、着工してもし遺跡が出た場合、調査に協力するという項目があらかじめあったようです。
だから、イオンモールを責めるつもりは毛頭ないのですが、ただ、ここから1kmも離れていない場所に、昨年イオンの大型ショッピング施設がオープンしたばかりで、しかも、そこも今では閑散としている状況のなかで、またここに同じような施設がいるのだろうか?と、素人ながら思うところです。
神戸市がイオンに売却した価格は45億円だとか。
それが高いのか安いのかはわかりませんが、阪神・淡路大震災以降、財政難の神戸市としては、遺跡の保存より目先の45億円だったのでしょうか。
でも、神戸空港のような無意味なものを作って、さらに財政難の火に油を注いでおきながら、こういった歴史的遺産に予算を充てられない神戸市の無能さに、歯がゆい思いを禁じえません。
そんな思いで、本稿を起稿しました。
Commented by heitaroh at 2015-02-09 22:31
確か、近鉄の梨だの自宅建設地の下から遺跡が出ましたよね。調査だけやって後は建築するに任せるという話を聞いたとき、なるほどと思いましたよ。
歴史ファンにとっては価値ある物でも興味がない人にとっては余計なもの以外の何物でもないわけで、遺跡優先にすると申告しない人が増えるだけでしょうし、破壊されるだけのことになるでしょうから。
国家がすべて買い取れるわけでもない以上、生きてる人との整合性を保つには仕方がないのでしょうね。
ちなみに、兵庫城なんて初めて知りました。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-02-10 20:41
< heitarohさん

たしかに、美術品や骨董品などと違って、遺跡はたいそう邪魔になりますからね(笑)。
理屈ではわかるのですが、やはり、あれだけ立派な遺構を目の当たりにすると、これを破壊してしまうというのは、なんとも残念でならない思いです。

>遺跡優先にすると申告しない人が増えるだけ

なるほど、そうかもしれませんね。
調査させてもらえるだけでもラッキーということでしょうか。

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