三木合戦ゆかりの地めぐり その1 ~三木城跡~

過日、兵庫県三木市の三木城跡に行ってきました。
三木城というと、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の行った「三木の干殺し」で知られる三木合戦の舞台として有名ですよね。
旧令制国でいえば播磨国の東端に位置し、現在の三木市は、神戸市の西北にあたります。

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現在、城跡は本丸周辺だけが丘の上に上の丸公園として残っています。
形式は平山城で、別名「釜山城」「別所城」とも呼ばれていたそうです。
当時は、小寺氏の御着城、三木氏の英賀城と並んで播磨三大城と称されたそうです。

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三木城の築城時期に関しては諸説あってはっきりしないそうですが、15世紀末ごろに別所則治によって築城されたとされおり、以後、代々別所氏の居城となります。
別所氏は、播磨国の守護大名・赤松氏の家臣であり、同じく家臣である浦上氏に次ぐ有力な一族として、播磨東部辺りに勢力を誇っていました。

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秀吉に攻められる以前にも、時の勢力争いに幾度となく巻き込まれ、山陰の尼子氏や四国の三吉氏、三田の有馬氏などに攻められますが、なんとか落城は免れてきました。
その後、織田信長が勢力を伸ばすと、その傘下に入ります。

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しかし、天正6年(1578年)3月7日、信長の命による秀吉の中国攻めが始まると、5代目当主・別所長治は突如、反旗を翻します。
その理由ははっきりしていませんが、以前の拙稿でも紹介したとおり(参照:軍師官兵衛 第15話「播磨分裂」~加古川評定~)、加古川評定における対立が原因とされています。
謀反を受けた秀吉は、ただちに三木城を包囲。その数3万とも言われる大軍でしたが、それでも、三木城の堅牢さを知っていた秀吉は、無駄に自軍の兵力を失うことを避け、三木城の周辺に付城を構築して持久戦に持ち込むというものでした。

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下の三木城跡から望む城下です。
写真右奥に見えるのが、秀吉が本陣をおいた平井山かな?

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なんとか別所氏を支援したい毛利氏は、さまざまなルートから三木城への食料搬入を試みますが、秀吉による包囲網はこれをことごとく遮断。
籠城する7500人の別所勢は、孤立無援となります。
やがて城内の食糧が底をつくと、餓死者が数千人に及んだといいます。
飢えた城兵たちは、はじめは飼葉(馬の餌)を食べていたそうですが、それが尽きると、を食べ、さらにはネズミや土壁のなかのをも食べたといいます。
その光景はまさに地獄絵図
この兵糧攻めは「三木の干殺し」と呼ばれ、のちの「鳥取の渇え殺し」とともに戦国史上最も凄惨な籠城戦と評されています。

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本丸跡です。
天正8年(1580年)1月、長い籠城戦に力尽きた籠城軍は、城主・別所長治とその一族の切腹と引き換えに、城兵たちの助命を求め、秀吉もこの条件を了承します。
このとき長治は若干23歳。若き領主の自刃によって、1年10ヵ月に及んだ三木合戦は終結しました。
本丸跡には、長治の辞世の句が刻まれた石碑があります。

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「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば」

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長治像です。
23歳の若者らしい幼い顔ですね。

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城跡公園のすぐ近くにある雲龍寺には(戦国当時は、三木城郭内にあった)、長治と照子夫人の首塚が残されています。

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長治は切腹にあたって、照子夫人と3歳のわが子を刺殺し、その後、切腹にのぞんだと言われます。
武士の世の慣いとは言え、無念だったことでしょう。

近日中の「その2」につづきます。



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by sakanoueno-kumo | 2015-02-26 21:24 | 三木合戦ゆかりの地 | Comments(2)  

Commented by heitaroh at 2015-03-02 23:13
このカーブしている鉄橋は日本で唯一だって知ってました?受け売りですが(笑)。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-03-04 03:21
< heitarohさん

まったく知りませんでした。
っていうか、写真を撮っていながら鉄橋があったことすら覚えていませんでした。
播磨に住むわたしが播磨のことを筑前の貴兄に教わるという、なんとも不甲斐ないことです(苦笑)。

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