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上方落語界の巨星・三代目桂米朝師匠のご逝去を悼む。

昨日、上方落語界の巨星・三代目桂米朝師匠が亡くなられたそうですね。
関西のテレビやラジオでは朝からずっとこの話題でもちきりです。
米朝師匠といえば、上方落語界初の人間国宝であるとともに、落語界では初の文化勲章を受章した、まさに大阪の誇りといえる存在でした。
御年89歳だったとか。
つい最近まで、昼間のラジオで声を聴いていたと思っていたんですけどね。
謹んでお悔やみ申し上げます。

米朝師匠といえば、故・六代目笑福亭松鶴師匠、故・五代目桂文枝師匠、三代目桂春団治師匠と共に「四天王」と呼ばれ、戦後、衰退しかけていた上方落語を立て直した功労者として知られています。
私が子供の頃は、桂三枝(現・六代目桂文枝)さんや笑福亭仁鶴さんの全盛期で、米朝師匠はすでに大御所的存在となっていましたが、四天王のなかでも、型破り破天荒なイメージの松鶴師匠とは対照的に、知性的ダンディー端正で、教科書のような落語家さんといったイメージでした。
にもかかわらず、60人を超えるという米朝一門には、月亭可朝さんや故・桂枝雀さん、桂ざこばさんなど、米朝師匠の芸風とは似ても似つかない型破りな落語家さんがたくさん育っているというのも、面白いところです。
きっと、懐の深い方だったんでしょうね。

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写真は上方落語発祥の地と伝えられる大阪・生國魂神社境内の米澤彦八の碑です。
今年の正月にここを訪れたとき、たまたま撮影していたものです。
米澤彦八とは、上方落語の祖と言われる人物で、いまから300年以上前の元禄時代に、大坂の生玉(いくたま)神社の境内で辻噺を興行して評判となり、やがてそれが、上方落語の原型となっていったそうです。
この石碑は、平成2年に米朝師匠、五代目文枝師匠(当時は小文枝)、春団治師匠の3人の連名で建てられたものです(六代目松鶴師匠はすでに亡くなられていました)。

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300年以上の歴史がある上方落語ですが、戦後の混乱のなかで衰退していき、昭和20年代後半には、上方落語家は十数人になっていたそうです。
これに危機感を覚えた米朝師匠は、のちに四天王と呼ばれるに至る仲間たちと上方落語の再興を決意し、埋もれていった古典落語を徹底的に調べ直し、それを現代風にアレンジし、見事に復活させたそうです。
その数、20以上あるとか。
その甲斐あって、三枝さんや仁鶴さんら売れっ子落語家が生まれ、その後、上方落語協会に加盟している落語家さんは、いまでは200人以上いるそうです。
たいへんな偉業といえるでしょう。
きっと、あの世で松鶴師匠や文枝師匠と、落語談義に花をさかせることでしょうね。
心よりご冥福をお祈りします。


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by sakanoueno-kumo | 2015-03-20 21:30 | 芸能 | Trackback | Comments(0)  

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