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花燃ゆ 第12話『戻れないふたり』 ~文と久坂玄瑞の新婚生活~

 安政4年(1857年)12月、久坂玄瑞は晴れて夫婦となりますが、ふたりの新婚生活の場は、文の実家である杉家でした。その理由は定かではありませんが、おそらく、玄瑞は若くして親兄弟と死別しており、孤独な身であったこと、久坂家と杉家は直誠意距離で約1里半離れており、松下村塾の門弟として通い詰めるには遠かったことなどが理由だったのでしょう。一説には、吉田松蔭に目をかけられていた玄瑞は、結婚前から杉家で暮らしていたともいいます。文と玄瑞を結婚させたのは松蔭の意向だったといいますから、あるいは、ふたりを結婚させて、これまで以上に玄瑞を身近において指導したかったのかもしれません。いずれにせよ、ふたりの新婚生活は、玄瑞のマスオさん状態でスタートします。

 玄瑞の「不美人」発言の件、やけにひっぱってましたね。まあ、数少ないふたりの馴初めのエピソードですからね。この話は前話の稿で紹介したとおり(参照:第11話)、同じ松下村塾生だった横山幾太という人物が明治24年(1891年)に執筆した随筆『鷗磻釣餘鈔』に書かれていたものです。実際にこんな発言があったかどうかはわかりませんが、少なくとも、本人の耳に入れることはなかったでしょう。ドラマでは酔った高杉晋作KYな爆弾発言を吐いちゃってましたけどね(笑)。あのシーンは笑っちゃいました。

 ちなみに、伊藤利助が凍りついた空気をフォローするために「不美人はおすみちゃん」と言っていましたが、その“おすみちゃん”こと入江九一の妹・すみ子は、のちに利助のとなる女性です。他愛もないシーンですが、いちおう伏線をはってるんですね。もっとも、ほどなく「最初の妻」という言い方になるのですが・・・。

 そんなこんなで、文と玄瑞の夫婦生活がスタートしますが、年が明けた安政5年(1858年)2月、玄瑞は予てから希望していた江戸遊学が許され、萩を発ちます。そのため、ふたりの新婚ホヤホヤの生活は、わずか2ヵ月ほどで別居状態を強いられることとなります。こののち、玄瑞は江戸、京都、下関を拠点に志士活動を活発化させていくため、夫婦は事実上の別居状態となります。ふたりの夫婦生活は、玄瑞が自刃する禁門の変までの約5年半でしたが、実際にひとつ屋根の下で暮らしたのは、延べ数ヶ月ほどだったとも・・・。それが理由だったのか、ふたりの間に子宝は恵まれませんでした。決して、屋根裏部屋で寝ていたからではありません(笑)。

 椋梨藤太周布政之助の政権争いによって、奥方たちの勢力図も一変したようです。もちろん、奥方たちの記録など残っておらず、ドラマのフィクションではあるのですが、現代社会でも、社宅住まいなどの奥様方は、似たようながあると聞きますよね(まるでドラマ『半沢直樹』の奥様会を見ているようでした)。当時の武家社会は狭い社会ですから、実際にも、あんな感じだったんじゃないでしょうか? そんななか、夫・小田村伊之助のために、妹の文のために、懸命に椋梨の奥方に取り入る寿。なんとも健気じゃないですか・・・。なんで、伊之助はこの妻の内助の功を評価してあげられないのでしょうね。文の縁談にしても、妹のことを思ってやったこと。責められることではないですよね。なんか、寿が不憫になってきました。

 文と玄瑞の馴初め話で2話ほど歴史が停滞していましたが、江戸では赤鬼・井伊直弼大老に就任しました。いよいよ、安政の大獄の始まりです。


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by sakanoueno-kumo | 2015-03-23 19:47 | 花燃ゆ | Trackback(1) | Comments(0)  

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