三木合戦ゆかりの地めぐり その5 ~平田村付城跡・平田村山之上付城跡・大村城跡~

羽柴秀吉の本陣が置かれた平井山付城は、三木城の北東に位置しますが、その反対側の北西にも、平田村付城をはじめ多くの付城が築かれています。
最寄りの駅は、日本一乗車賃が高いことで知られる神戸電鉄の大村駅
その路線のなかでも、単線区間にあるのどかな駅です。

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思わず駅の写真を撮ってしまいましたが、目的は城跡です。
大村駅から北へ2~3分歩いたところに保育園があるのですが、ネット情報によれば、この保育園の場所あたりに、かつて大村城があったそうです。
その城主の大村氏は、三木城主である別所氏とは縁戚関係にあり、当然、三木合戦のときは別所方でした。

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大村城の遺構らしきものは何も残っていません。
『別所軍記』によると、この城の前に広い場所があって、別所氏の大軍が集結していたと記されています(現在、保育所の前は田んぼです)。
ここを守っていた大村九郎左衛門治吉は、大村合戦の激戦で討死したと伝わります。

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保育所の東側には、平田村付城があったと考えられている山があります。
この山はそれほど高くはなく、少し登ればすぐに遺構らしき場所にたどり着けます。
史跡に指定されていないので、看板や説明板などはありません。
『播磨鑑』によると、ここを守っていたのは吉田勝左ヱ門という織田方の武将だったと記されています。。

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このあたりは三木合戦の中でも激しい戦闘が行われたと伝えられます。
なかでも、天正7年(1579年)9月の「平田・大村合戦」では、織田方の豪将・谷大膳が、激しい戦いのすえ討死しています。
その谷大膳の墓が近くにあるのですが、それはまた次稿で紹介します。

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郭跡っぽい場所から見た、三木城方面の景色です。
写真中央の低い山が、三木城です。
丸見えですね。

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また、平田村付城から東へ10分ほど歩いたところに、「さつき園」という養護老人ホームがあるのですが、その裏山に、平田村山ノ上付城があったと考えられています。
『播磨鑑』によると、城主は古田馬ノ助という武将とされています。
谷大膳が討死したのは、この場所だったと伝えられます。

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平田村付城から距離にして500mも離れていない場所ですから、おそらく連動して北西からの補給路を塞いでいたのでしょうね。

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ところで、この日、老人ホームの横の登山口はわかったのですが、その後の山道があまりにも険峻で、山上まで登りきれませんでした。
案内板も何もないですから、道なき道をかき分けて登っていくも、なかなか遺構らしき場所にたどり着けず、帰路が不安になって途中で引き返した次第です。

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山登りの素人がいく場所ではなかったですね。
雪山ならともかく、城跡めぐりで遭難したとあっては、末代までの恥ですから(笑)。

そんなこんなで、次稿は谷大膳の墓所を紹介します。



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by sakanoueno-kumo | 2015-03-25 19:33 | 三木合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

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