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花燃ゆ 第14話「さらば青春」 ~安政の大獄と間部老中暗殺計画~

 今回は、ドラマで省かれていた「安政の大獄」までの経緯を簡単に解説します。
 大老就任早々、独断で日米修好通商条約に調印した井伊直弼は、さらにその実権をフルに発揮し、将軍継嗣は紀伊の徳川慶福(のちの家茂)に決定したと大々的に発表します。不意をつかれた格好となった水戸藩主の徳川斉昭、その息子の一橋慶喜、越前藩主の松平春嶽一橋派は、安政5年(1858年)6月24日、カンカンに怒って江戸城に登城し、直弼に面会して激しくクレームをつけまくります。ところが、これを受けた直弼は、「呼びもしないのに無断で城内に上がってきて文句をいうなどけしからん!」と、斉昭は謹慎、慶喜は登城差し控え、春嶽と尾張藩主の徳川慶勝には隠居謹慎の処分を命じます。親藩や大藩の殿様相手にやりたい放題ですね。

 政敵を一掃した直弼の権力はいっそう高まり、ほとんど独裁状態となりますが、そうなると、当然、それを叩き潰そうという動きがはじまります。このとき最も働いたのが、今話で捉えられた梅田雲浜や、頼三樹三郎梁川星巌ら尊王派の学者たちで、彼らの働きによって、井伊大老を降ろせという幕府改革の勅諚が、孝明天皇(第121代天皇)より水戸藩へ下ります(異説あり)。これを、後世に「戊午(ぼご)の密勅」といいます。「密勅」とは、読んで字のごとく秘密の勅諚ですね。勅諚とは、天皇直々のお言葉のことですが、この時代、天皇が政治的発言を行うことはほとんどなく、ましてや、幕府を介さずに直接水戸藩に勅諚が下されるなど、前代未聞の出来事でした。

 この情報を知った直弼は「これは反乱である!」大激怒し、水戸藩にその「勅書を返せ!」と迫り、そして朝廷に対して「なぜそんなものを出したのか!」と、猛烈に抗議します。朝廷に幕府の弾圧がかかるとなると、これまた前代未聞のこと。そこで朝廷を守るため、薩摩藩や越前藩が兵を挙げて京都に向かっている、といったが広まります。こうなると直弼は、その噂が本当なのかデマなのかを確認することなく、力には力で対抗する構えを見せ、徹底的な大弾圧を開始しました。その対象は、将軍継嗣問題で一橋派に与した者たち、梅田雲浜ら密勅問題で動いた者たちすべてひっ捕まえて裁判にかける。こうして、安政の大獄がはじまります。

 江戸や京都の動きを知った吉田松陰は、こうしてはいられないとばかりに、同年11月、京都での攘夷派や一橋派の弾圧を指揮していた幕府老中・間部詮勝の暗殺を企てます。そして、松蔭は藩の重臣・前田孫右衛門に計画を記した書状を送り、藩から武器を借りたいと依頼しました。同時に、門人を中心に同志の連判を募り、自分がこれらを率いて上洛し、事を起こすと公言したそうです。暗殺の企画書を役所に提出するなど聞いたこともありません(笑)。公然と発表する暗殺を暗殺といえるかどうかは疑問ですが、つまるところ、松蔭はこの暗殺計画を、藩をあげて実行しようとしていたわけですね。松蔭にしてみれば、この計画に一点の曇もなかったのでしょう。

 ところが、藩当局にしてみれば、そんな無謀な計画を公言する松蔭をそのままにしておけるわけがありません。バカ正直というか何というか、結局、藩当局はふたたび松蔭を野山獄へ収監します。しかし、これで松蔭がおとなしくなったかというと、更に過激になっていくんですね。その過激さに、松下村塾の門弟たちも、やがて距離を置くようになっていきます。


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by sakanoueno-kumo | 2015-04-06 20:55 | 花燃ゆ | Trackback(1) | Comments(2)  

Tracked from ショコラの日記帳・別館 at 2015-04-09 15:07
タイトル : 【花燃ゆ】第14回感想と視聴率「さらば青春」
「さらば青春」 第14回の視聴率は、前回の11.7%より下がって、11.2%(関... more
Commented by 50代の歴史好きオッサン at 2015-04-07 09:27 x
いつもながら分かりやすい解説ありがとうございます。
安政の大獄は根底には「朱子学」があり天皇を護ろうという流れのなかで起こったのですね。
またご指摘の「藩を上げての暗殺計画」を起案する松陰のおもしろさを指摘されたのは、いまで言う「ワロタ!」ですね。今後とも分かりやすい解説を期待してます。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-04-08 00:36
< 50代の歴史好きオッサンさん

過分なお言葉ありがとうございます。
安政の大獄前後の歴史ってややこしいんですよね。
幕府内にも開国派と攘夷派があって、その開国派のなかにも尊王家がいたり、そこに一橋派と南紀派の争いが加わって、開明派なのに攘夷思想だったり、保守派なのに開国論だったり、なかなか一言で言い表せない混沌とした時代だったといえるでしょうか。
幕末史は苦手だという人の多くは、この時代のややこしさが嫌になるようです。
わかるような気もします。
禁門の変以降の元治から慶応になれば、倒幕派と佐幕派ではっきりしてきて、わかりやすくなってくるんですけどね。

司馬遼太郎さんは『世に棲む日日』のなかで、松陰のことを子供のような純粋さと狂気を併せ持った人物像に描いていますが、たぶん、遠からずだったのでしょうね。
後世に英雄視されるようになった松陰ですが、同時代に生きる人から見れば、宇宙人だったかもしれません。
頭脳明晰なのに幼稚な思考回路の宇宙人・・・なんか、現代にもいますよね。
この前ロシアに行ってた元総理大臣。
案外、似てるかもしれません(笑)。
まあ、あの方が後世に英雄視されることはないでしょうが。

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