三木合戦ゆかりの地めぐり その7 ~明石道峯構付城跡~

羽柴秀吉の本陣が置かれた平井山付城や、谷大膳の墓所がある平田村付城は、三木城の北側にありますが、秀吉のつくった付城は三木城を中心として360度くまなく包囲しており、南側にも現在多くの遺構が確認されています。
まず訪れたのは、三木城から直線距離にして1.5kmほど南に築かれた明石道峯構付城です。

e0158128_20565720.jpg

国道175号線の東沿いにある小さな山の上にある付城跡で、山の周囲はミニゴルフ場となっています。

e0158128_20584723.jpg

天保12年(1841年)に描かれた小林伝右衛門という人物によって作図された絵図『三木城地図』には描かれていましたが、平成11年(1999年)の道路拡張工事で所在が確認されるまで、その存在は明らかではなかったのだとか。
その後、三木合戦に関する貴重な史料として、破壊せずに三木市が管理しているそうです。
三木市の行政に感謝です。
登山道は綺麗に整備されていて、説明板や遺構の表示板も設置されていてたいへんわかりやすくなっています。
先日の遭難しかけた平田村山ノ上付城跡とは、ぜんぜん違いますね。
わたしのような素人向けの遺構です。

e0158128_2124937.jpg

主郭跡に設置された説明板です。

e0158128_2143232.jpg

縄張り図です。
主郭跡は約1,100㎡、東郭跡は約3,300㎡あるそうですから、ずいぶん規模の大きな付城だったことがわかります。

e0158128_2163100.jpg

上の写真は、その主郭跡です。

e0158128_2171323.jpg

西郭跡です。

e0158128_2110770.jpg

主郭と東郭を結ぶ虎口跡です。

e0158128_21102050.jpg

虎口の両サイドは、土塁が積まれています。

e0158128_21121728.jpg

上の写真は、もっとも広い東郭跡です。
建物があったかどうかは、わかっていません。

e0158128_21133712.jpg

その東郭の外にある堀跡です。

e0158128_21173545.jpg

史料によれば、三木城攻めが開始されてから1年近く経った天正7年(1579年)2月の平井山合戦に勝利した織田軍は、その後、織田信忠によって三木城の南側に付城が6ヵ所築かれ、魚住からの兵糧搬入経路が塞がれます。
やむなく迂回して北西からの搬入することになり、前稿で紹介した平田大村合戦に繋がっていきます。
そのとき造られた6ヵ所の付城のひとつが、ここ明石道峯構付城だった可能性が高いようです。

e0158128_21175024.jpg

下山道に、ここから約500m西にあるシクノ谷峯構付城への誘導表示がありました。
次稿はここを訪れます。



「三木合戦ゆかりの地めぐり」シリーズの他の稿は、こちらから。
   ↓↓↓
三木合戦ゆかりの地

ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2015-04-09 21:20 | 三木合戦ゆかりの地 | Comments(2)  

Commented by heitaroh at 2015-05-01 19:04
やはり、画像では小さくてわかりにくいですね。私も現地を歩いてみたい・・・です。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-05-01 23:23
< heitarohさん

ほんと、付城の遺構ほど写真で伝わりにくいものはないですね。
鳥瞰図でもなければ、毎回ただの草むらの写真をアップしているだけという・・・(笑)。
ほとんどマスターベーションです。

<< 三木合戦ゆかりの地めぐり その... 花燃ゆ 第14話「さらば青春」... >>