三木合戦ゆかりの地めぐり その12 ~三木城鷹尾山城(鷹ノ尾城)跡~

羽柴秀吉軍が築いた付城はまだまだあるのですが、少し飽きてきたので、ここらで別所方の陣を見てみましょう。
訪れたのは鷹尾山城跡、本城である三木城のすぐ南の高台にある要害です。
本によっては、「鷹ノ尾城」と書かれているものもあるのですが、現地看板は「鷹尾山城」となっていたので、拙稿では後者でいきます。

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ここを守っていたのは、別所長治の伯父で後見人でもある別所吉親(賀相)でしたが、三木合戦の最終段階では、長治の弟、別所彦之進友之が守備していました。

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現在は市役所の西隣にある勤労者体育センターの裏山に遺構の一部が残っています。
当時は、「その1」で紹介した長治と妻・照子首塚がある雲龍寺の裏山まで、要害が続いていたそうです。

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市役所などの建設で大部分が破壊されていると聞いていたので、正直、訪れるまではあまり期待していなかったのですが、実際に来てみると、少ない面積ながら立派な遺構がしっかり残っています。

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土塁跡が平らな敷地をL型に囲んでいます。
おそらく郭跡でしょう。

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土塁の外側には、堀跡があります。
で、その堀跡の外側には、また土塁があります。

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案内板などは設置されていませんが、面積が狭いので容易に全形が想像できます。
なかなか見応えがありました。

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天正8年(1580年)1月11日、ここ鷹尾山城は秀吉軍に攻め込まれ、占領されます。
そして、ここから三木城に対して降伏勧告を行ったのだとか。
そして1月17日、降伏した別所一族はみごと自刃します。

「命をも惜しまざりけりあずさ弓 末の世までも名を思う身は」

友之の辞世です。
長治23歳、友之21歳でした。

シリーズは、まだまだ続きます。



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by sakanoueno-kumo | 2015-04-30 20:42 | 三木合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(2)  

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Commented by heitaroh at 2015-05-01 18:47
遅ればせながらやっと見ることが出来ました。スマホでは画像が小さく、いまいち、わかりにくいものですから。この付城で大体、何人くらいの兵士を収容することができるんですか?それほど広い所には思えませんが。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-05-01 23:07
< heitarohさん

怒涛のコメントをありがとうございます(笑)。
ここは付城ではなく、三木城の一郭で、南を防ぐ高台の要害だったようです。
当時は、三木城の本城まで続く大きな要害だったようですが、今は、県立三木高校のグランドや市役所庁舎の建設などで、その多くが破壊されてしまっています。
でも、残っている遺構は、なかなか立派なものでしたよ。

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