三木合戦ゆかりの地めぐり その13 ~淡河城跡・八幡森史蹟公園~

三木城跡から東へ7~8km離れた神戸市北区に、淡河城跡があります。
難読ですが、淡河(おうご)と読みます。

e0158128_2365436.jpg

あまり有名ではありませんが、ここ淡河城は三木城籠城戦に際して、食料の補給ルートを確保した重要な役割を担っていた城です。
三木合戦のときの淡河城主・淡河弾正忠定範は、三木城主・別所長治の義理の伯父にあたります。

e0158128_2395066.jpg

淡河氏は鎌倉北条一族の流れと伝えられる名家で、南北朝時代は播磨国一帯を支配する守護大名の赤松氏の配下に属し、この地で勢力を拡大します。
ここ淡河城が築城時期は定かではありませんが、かなり昔からこの地に城があったと考えられているようです。

e0158128_2312725.jpg

城は淡河の里を一望できる小高い丘の上にあります。
濠を渡って、比高差約20mの斜面にある山道を登ります。

e0158128_2314193.jpg

e0158128_23141435.jpg

現在は、本丸跡土塁等が残っているのみとなっています。
南の土塁は天守台跡と考えられており、上端が広いため、が建っていた可能性があると考えられているそうです。

e0158128_23165377.jpg

ただの草むらか畑のように見えますが、本丸跡です。
この本丸跡では、柱穴井戸などの遺構が見つかっているそうです。

e0158128_23193963.jpg

本丸跡北側から見た天守台跡です。

e0158128_23224147.jpg

天守台跡は現在、稲荷神社の境内となっていて、遊が置かれた公園になっています。
地面にピンクに散らばっているのは、桜の花びらです。
この日は4月12日で、もう一週前に訪れていたら、きっと桜が綺麗だったでしょうね。

e0158128_23263973.jpg

境内の片隅には、淡河氏のあとに城主となった有馬氏の子孫にあたる有馬頼寧氏が昭和11年(1939年)に揮毫した石碑があります。

e0158128_2328165.jpg

天守台から見下ろす城下です。
黒い建物は、模擬櫓です。

e0158128_23293663.jpg

本丸の周りには内堀跡があります。

e0158128_2331172.jpg

内堀の外側には、淡河氏の菩提寺だった竹慶寺跡があります。
竹慶寺は、江戸時代中期頃に無住寺となり、廃寺となったそうです。
境内には歴代の城主の墓碑があります。

e0158128_23335945.jpg

e0158128_23341193.jpg

三木合戦時に城主だった淡河弾正忠定範は、奇策を用いて織田軍を手こずらせたといいます。
その奇策とは、攻めこむ羽柴秀長軍に対して、数十頭の牝馬を放ち、敵の馬が乱れ狂ってパニックになったところに城内から攻め掛かり、秀長軍を敗走させました。
その後、自ら城に火を放ち、別所氏の籠もる三木城に入り、やがて運命を共にしたと伝えられています。

e0158128_23391477.jpg

その定範が討死したと伝えられる三木市の八幡森史蹟公園には、「淡河弾正忠定範戦死之址」と記された石碑と、平田大村加佐合戦の戦死者の慰霊碑があります。

e0158128_23395138.jpg

平田大村加佐合戦とは、三木合戦のなかでももっとも激しかったといわれる戦いで、「その6」で紹介した谷大膳が討死した合戦です。

e0158128_23402556.jpg

石碑には、「三木方戦士者、侍大将七十三人、士卒八百余人」とあります。
織田方を入れると、もっと大勢の兵が、この戦いのあった天正7年(1579年)9月9日に命を落としているんですね。
それでも、三木城内で餓死した籠城兵よりは、武士らしく死ねて幸せだったかもしれません。

e0158128_23421969.jpg

現在この慰霊碑は、閑静な住宅街の一角にある公園内に、遊具とともにあります。
公園で遊ぶ子どもたちは、430年前の惨劇を知るよしもありません。

次回に続きます。



「三木合戦ゆかりの地めぐり」シリーズの他の稿は、こちらから。
   ↓↓↓
三木合戦ゆかりの地

ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

by sakanoueno-kumo | 2015-05-01 19:00 | 三木合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(2)  

トラックバックURL : http://signboard.exblog.jp/tb/23039969
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by heitaroh at 2015-05-01 19:09
ここは付城の一つではなく、三木城側の出城ですよね?歴代城主の墓がある辺りはそれなりに長年に渡ってここを任されてきたということでしょうから、別所氏の一族でしょうか?
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-05-01 23:30
< heitarohさん

一族ではなかったようですが、淡河定範は別所長治の義理の伯父ということですから、姻戚関係ではあったのでしょうね。
淡河城の築城時期は正確にはわかっていないそうですが、南北朝時代からこの地を治めていたといいますから、別所氏より古い家柄なんじゃないでしょうか?

<< 花燃ゆ 第18話「龍馬!登場」... 三木合戦ゆかりの地めぐり その... >>