三木合戦ゆかりの地めぐり その15 ~福谷城跡~

端谷城跡から南西に1.5kmほど下ったところにある丘陵上に、福谷城跡があります。
現在の住所でいう神戸市西区櫨谷町一帯には、端谷城を本城として多くの支城が築かれていましたが、ここ福谷城も、その支城のひとつだったようです。

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城主はわかっていませんが、おそらく端谷城と同じ衣笠氏の一族だったと考えられています。

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現在、城跡の主郭跡らしき場所は、秋葉神社が建っています。
神社の参道ということで、登山道は舗装されていて歩いやすくなっていたのですが、かなりの急斜面で、メタボ腹のわたしは息切れしまくりです。

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この急斜面、写真で伝わるでしょうか?

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主郭跡とみられる場所にある、秋葉神社です。
ありがたいことに、境内横に物見台っぽい展望台が建てられていました。

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そこから見た西側の眺望です。
現在、この辺りは狩場台糀台という地名で、西神ニュータウンといわれ、神戸市内有数のベットタウンとなっています。
30年前は何もない山だったんですけどね。

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境内北側は、自然のままの山道になっています。
中へと進むと、土塁らしき遺構が見られます。

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そのまま更に北へ進むと、藪が拓けた場所が見えてきます。
曲輪跡か何かかな?・・・と近づいてみると・・・

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ゴルフ城・・・じゃなかったゴルフ場に出ちゃいました(笑)。
ファー!!!

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上の写真は福谷城跡の鳥瞰図
図の切れている上が、ゴルフ場になっています。
史料が乏しく城史が定かではない福谷城ですが、おそらく、天正8年(1580年)2月の織田軍の攻撃によって、本城の端谷城と共に落城したと考えられています。

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それにしても、神戸市西区や北区には、福谷、櫨谷、寺谷、名谷、伊川谷、押部谷、箕谷と、「谷」の付く地名がやたら多いですね。
で、そのほとんど場所に、かつて城があったとされています。
その谷と谷の間には、「◯◯ヶ丘」「◯◯台」といった地名が必ずあるのですが、それらのほとんどは、昭和の時代に開かれたニュータウンです。

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司馬遼太郎氏の何の作品だったか忘れたのですが、その中で司馬さんは、古来、日本人はずっと、「谷」を恵み地としてきた、ということを述べておられました。
谷には川が流れ、その川を水源に、田畑を耕してきた。
一方で谷には洪水がつきもので、人々は、天災と戦いながら、それでも谷に住み続けた・・・と。
それが、産業が発達した近代、人々は災害の多い谷を嫌って、「丘」へと移り住んだ。
で、いつの間にか、「◯◯ヶ丘」といった場所が、人々の憧れの地となった。
でも、司馬さんは、新しい地名の「丘」「台」にはまったく魅力を感じず、歴史と共に歩んできた「谷」にこそ、深い感動を覚える・・・と。
うろ覚えで申し訳ないのですが、たしか、そんな旨のことを述べられていました。
なるほどなあ・・・と。
だから、「谷」には必ずがあったんですね。
「谷」に比べたら、「丘」や「台」は安っぽい土地なんですね。
そういうわたしは、丘に住んでるんですが(笑)。

話がずいぶんそれちゃいました。
次回に続きます。



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by sakanoueno-kumo | 2015-05-07 23:58 | 三木合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

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