三木合戦ゆかりの地めぐり その18 ~加古川城跡(称名寺)~

続いて加古川市にやってきました。
加古川市にも、三木合戦ゆかりの史跡が数多くあるのですが、まずは、三木合戦の発端となった加古川評定の舞台、加古川城跡を訪ねます。

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現在、城跡には称名寺という寺院が建てられており、城の遺構は残っていません。
城は元和元年(1615年)に破却されたと伝えらているそうで、ちょうど今年で400年ですね。

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加古川市は黒田官兵衛の妻・の出生地ということで、昨年の大河ドラマ『軍師官兵衛』にあやかった観光誘致が熱心だったようで、いたるところにこのデザインの看板が立てられていました。

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天正6(1578)年2月、織田信長から中国の毛利攻めを任されていた羽柴秀吉は、播磨国の領主たちをこの地に一同に集めて、中国攻めに向けての軍議を開きます。
その軍議の場で、三木城主・別所長治の代わりに出席していた叔父の別所吉親(賀相)が秀吉と衝突し、これをキッカケに別所氏は秀吉に叛旗を翻します。
東播磨一の実力者である別所氏が毛利方に寝返ったことにより、周辺諸氏たちが次々と別所氏に同調していきます。
播磨を反毛利氏で結束させたいという秀吉の思惑で開催した加古川評定は、逆効果に終わってしまい、ここから、約2年に及ぶ三木城攻めが始まるんですね。

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山門を入ると、中央にいちょうの巨樹があります。
今は刈り込まれていますが、この木は昔から加古川の町の目印だったそうです。
あるいは、加古川評定を見ていたかもしれません。

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加古川城の城主は、のちに賤ヶ岳七本槍のひとりとなる糟谷武則で、別所氏に仕える身でありながら、早くから秀吉とよしみを通じていたと言わる人物です。
境内には、糟谷家の墓があります。

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三木合戦とは関係ありませんが、境内には、地人が憐れんで建てた南北朝時代の7人の武者の七騎供養塔があります。
詳しくは看板を読んでください(笑)。


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城の面影はまったく残っていませんが、歴史が大きく動いた場所に立つと、何だか言い知れぬ感動を覚えますね。

次回に続きます。



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by sakanoueno-kumo | 2015-05-27 23:58 | 三木合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(2)  

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Commented by heitaroh at 2015-05-28 08:40
ここは行きました。私が行ったときにはまだ官兵衛は幟だけで看板はあんまりありませんでしたが。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-05-29 15:26
< heitarohさん

そういえば、以前、加古川、姫路に来られるとおっしゃられていましたね。
官兵衛がらみの取材だったのでしょうか。

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