三木合戦ゆかりの地めぐり その19 ~野口城跡(教信寺・野口神社)~

加古川評定での決別により別所氏の籠る三木城を包囲した羽柴秀吉軍でしたが、堅固な三木城を短期間で落とすのは難しいと判断し、まずは周囲の支城から攻め落とし、三木城を孤立無援にする作戦に出ます。
その最初の標的となったのが、『別所長治記』「播州一ノ名城」と記されていた野口城でした。

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写真は教信寺という寺院の山門です。
ここにも、加古川城跡と同じ『軍師官兵衛』の観光誘致看板がありました。

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看板には、「教信寺(野口城跡)」と表記されていましたが、実際には、野口城の正確な位置はわかっていないようです。

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野口城の築城時期についても詳しくわかっていませんが、三木合戦時の城主は別所氏の重臣・長井長重でした。
野口城は四方を沼田に囲まれた要害でしたが、秀吉は数万荷分を麦や草木でこれを埋め立て、三日三晩休みなく攻撃を続け、降伏させたといいます。

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境内の写真です。
伝承によると、ここ教信寺も戦火に巻き込まれて全焼しましたが、同寺の僧兵・不動坊海長、経蔵坊春盛らが野口城方に参戦し、奮戦したと伝えられます。

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写真は、教信寺から100mほど西にある野口神社です。

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この野口神社と教信寺のに野口城があったとも考えられているそうです。
伝承によると、野口城は長さ43間(約83m)横21間(約42m)の丘陵であったとされますから、たしかに、大きさ的にはバッチリの敷地かもしれません。
ただ、現在、神社と寺の間は平坦な住宅地と畑で、丘陵地ではありません。

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それでも、何か城跡を思わせるような手掛かりはないかと付近を歩いてみると、新しい家が並ぶ中に、妙に周りに馴染まない空間を見つけました。
近寄ってみると・・・。

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古いがありました。
そこに記されている看板を見ていると・・・。

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消えかかって読みにくいですが、「野口城趾」とあります。
あとは読めないのですが、どうやら、野口城に関連した祠のようです。

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背後には、古い樹木と盛土があり、なんとなく遺構っぽい雰囲気でしたが、定かではありません。

さて、次稿は野口城の次に攻撃された神吉城跡を訪ねます。



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by sakanoueno-kumo | 2015-05-29 16:02 | 三木合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(2)  

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Commented by heitaroh at 2015-05-29 17:31
ここは行きませんでしたねえ。たぶん、行ったとしても土地勘のない哀しさ、観光バスに言われるままだったでしょうから、この祠にまでは辿りつけてないでしょうね。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-05-30 12:13
< heitarohさん

史料が少ない史跡ですし、遺構も残っていませんから、観光コースには入ってなかったでしょうね。
この祠を見つけたのも、ほんとに偶然でした。

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