三木合戦ゆかりの地めぐり その26 ~井ノ口城跡・見登呂姫の石仏~

東播磨に悠々と流れる大河・加古川の西岸からほど近い丘陵地に、井ノ口城はありました。
築城時期は定かではありませんが、室町時代の記録『播州諸城交代連綿之記』によれば、志方城主である志方家則の次男・志方孫次郎家金が最初の城主だったと伝えられます。

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現在、井ノ口城の本丸跡には「みとろ荘」という宿泊施設が建っています。

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宿の敷地内には、案内看板が設置されていました。
そして、やはりここにも、てるひめちゃん幟が(笑)。

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周辺に遺構らしきものは残っていません。
宿の敷地は小さな丘陵地となっていて、周りは水路で囲まれていました。
これって、堀跡?・・・なんて、勝手に想像したりしました。

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なんとなく、堀跡っぽいでしょう?

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三木合戦のときは、志方城主・櫛橋氏の家臣・依藤三河守、依藤小八郎の居城となっていたそうですが、志方城と共に落城。
その後、佐藤氏は別所氏に従って三木城に籠り、運命を共にしたといいます。

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井ノ口城から西へ400mほどのところに、「見登呂姫の石仏」という史跡があります。
この遺跡には、なんとも悲しいエピソードが伝えられます。

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15世紀後半、井ノ口城は赤松満祐の管理下に置かれていました。
当時の城主は井口家治
当時、井ノ口城に出入りしていた満祐の家来の青年が、姫のあまりの美しさに一目惚れしたそうです。
よくある話ですね。

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そんなある年の「月見の祝」の席で、やっとの思いで姫に近寄ることができ、青年は思いを告白しますが、あっさり振られてしまいます。
それに腹を立てた青年は、姫を刺殺して裏山に埋めてしまいました。
しばらくしてその事実を知った民衆は、姫の死を悼み、石仏を立てて奉ったといいます。
横恋慕による殺人死体遺棄事件、現代でいえばストーカー殺人ですね。
いつの時代にも、身勝手な犯行というのはあるものです。

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石仏が少し斜め下向きに傾いているのは、見登呂姫が最期まで美徳を守ったためといわれているそうです。
悲しい話ですね。

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見登呂姫の石仏から見た井ノ口城本丸跡です。
このあたりの地名・見登呂は、見登呂姫の名前から来たものだそうです。

シリーズはまだ続きます。



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by sakanoueno-kumo | 2015-06-24 17:47 | 三木合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

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