三木合戦ゆかりの地めぐり ~史跡分布図~

さて、約5ヵ月間、28回に分けて起稿してきました自己満足シリーズ「三木合戦ゆかりの地めぐり」ですが、前回でひとまず休憩、区切りということで、これまでの紹介した史跡分布図を作成しました。

まずは、三木城周辺の付城分布図
(画像をクリックすると拡大図が見れます)
    ↓↓↓
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三木城を中心に、オレンジ別所方の陣で、織田(羽柴)軍の付城、関連の史跡です。
三木城から北東の秀吉本陣までが直線で5kmほどですから、それほど広い範囲ではないことがおわかりいただけるかと思います。
織田軍の付城は7ヵ所めぐりましたが、『信長公記』によると、その数は50~60か所あったとされていますし、現在確認されている付城跡だけでも、20ヵ所以上あります(具体的には、北部の平田村山之上付城から秀吉本陣のあいだにも、付城跡が数カ所確認されているようですし、南西部分にも多くの付城が存在していたそうです)。
また、機会を作って取材してみたいと思いますね。

で、次は別所方支城の広域図です。
(画像をクリックすると拡大図が見れます)
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こちらもオレンジ別所方織田方関連の史跡です。
三木城周辺の小さな文字なしのマークは、上記の付城分布です。
東端の淡河城から西端の御着城までが直線距離にして約40km
現在の住所でいえば、東から神戸市北区、神戸市西区、三木市、小野市、明石市、加古川市、高砂市、姫路市で、播磨国東南部ほぼ全域にあたります。
三木城の南南西のあたりが空いていますが、ここに城がなかったわけではなく、史料が乏しく城跡が特定できないだけです。
江戸時代のそれとは違い、城から城の間は歩いて1時間も掛からない距離のところもあります。
こうして見ると、ひとつの城が支配する地域は、ずいぶん狭いということがわかりますね。
で、その東播磨の領主たちのなかで最も勢力が大きかったのが、この当時の三木城主・別所長治だったわけですが、だからといって、他の東播磨の城主たちが別所氏の臣下だったというわけではなく、単に同盟を結んでいただけの関係で、別所氏はその盟主にすぎませんでした。
のちの江戸時代には、全国三百諸侯などと言われましたが(実際には270ほど)、この時代の各地の支配者というのは、途方もない数だったことがわかりますね。

これ以外にも、三木合戦に関連する局地戦は西播磨地域の上月城佐用城にも及んでいますから、当時の人々にしてみれば、播磨国中が戦火となった世界大戦のような感覚だったかもしれません。

それにしても、今回あらためてわかったのは、わが兵庫県は城跡が多い!
たしか、日本の都道府県のなかでは城跡数ダントツトップだったと思います。
このたびの企画も、はじめは三木城を中心に付城跡数カ所をめぐって終わるつもりだったのですが、調べていくうちにどんどん関連史跡があることを知って、気がつけばシリーズ28回、まだまだ回りきれていないといった状態です。
おかげでたいへん勉強になりました。
また、折をみて続けていきたいと思います。
そのときは、上記分布図も更新していきますね。

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三木合戦ゆかりの地


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by sakanoueno-kumo | 2015-07-03 16:03 | 三木合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

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