大坂の陣400年記念大坂城攻め その3 ~西の丸~

大手口を入るとすぐに、西の丸庭園があります。
古く豊臣時代の西の丸には多くの御殿が建ち並び、豊臣秀吉没後、慶長4年(1599年)には秀吉の正室である北政所が一時ここで暮らし、その後、慶長5(1600年)の関ヶ原の戦いまでは、 徳川家康が移り住んでいたことはよく知られていますね。
現在、入口は庭園南側の冠木門のみとなっています。

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総面積約6万4千平方メートルの芝生庭園となった西の丸は、現在は大阪市民憩いの場所として親しまれ、春には桜の名所として多くの人が訪れます。

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その桜並木です。
といっても、桜が咲いてないとただの樹木ですが(笑)。

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庭園西側から見た天守です。

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ズームするとこんな感じ。
この天守に淀殿豊臣秀頼が住んでいて、北政所はこうして天守を見上げながら暮らしていたんですね。
小説などでは、自ら望んで西の丸に移住したように描かれたりしていますが、実際には、どんな気持ちで天守を眺めていたのでしょう。
もっとも、豊臣時代の天守と今の天守は、大きさも外観もまったく違うものですが。

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西の丸庭園と本丸とのあいだは、こんなに大きな内堀高い石垣で仕切られています。

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こちらは庭園南西から撮影。
向こうに見えるビル群は、大阪ビジネスパークです。
江戸時代と現代の建築技術の粋をあつめた、大いなるミスマッチです。

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庭園内にある大阪迎賓館です。
これは、平成7年(1995年)のAPEC大阪開催の際に建てられたもので、史跡ではありません。

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その北側には、重要文化財に指定されている焔硝蔵という建物があります。
ここは徳川時代の火薬庫で、この中に大量の黒色火薬が保管されていたそうです。

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北側の高麗門です。
現在は開放されていません。

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重要文化財の乾櫓です。
「その1」で外堀側から見た乾櫓を紹介しています。

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こちらは重要文化財の千貫櫓です。
これも、「その1」で外堀側から見た千貫櫓を紹介しています。

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西の丸から見下ろした外堀です。
やっぱデカイですね。

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徳川時代に入り、元和5(1619)年に内藤信正が初代の大坂城代となり、翌年に西の丸はすっかり築き直されたそうです。
その後、明治維新まで70代の城代が、交代で管理にあたってきました。
明治以降は軍用施設として使用されていたそうですが、昭和40年(1965年)に西の丸庭園として開園したそうです。

次回は、二の丸に攻め込みます。

大坂の陣400年記念大坂城攻め その1 ~外堀~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その2 ~大手口、搦手口~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その4 ~二の丸・豊国神社~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その5 ~石山本願寺推定地の碑と蓮如上人袈裟がけの松~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その6 ~内堀~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その7 ~刻印石、巨石~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その8 ~本丸~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その9 ~天守閣~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その11 ~城中焼亡埋骨墳~

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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~


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by sakanoueno-kumo | 2015-07-23 15:30 | 大坂の陣ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

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