大坂の陣400年記念大坂城攻め その5 ~石山本願寺推定地の碑と蓮如上人袈裟がけの松~

豊臣秀吉によって大坂城が築かれる以前の戦国時代、この地に石山本願寺があったことは有名ですね。
史料によると、明応5年(1496年)に浄土真宗の本願寺八世蓮如上人が、摂津国東成郡生玉庄内の大坂に、坊舎を築いたとあります。
「大坂」という地名が歴史上はじめて表された史料が、明応7年(1498年)11月21日付けの蓮如上人の「御文」とされているそうです。

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蓮如上人が築いた当時の坊舎は小堂だったと考えられていますが、その後、天文元年(1532年)に六角定頼法華宗徒によって山科本願寺が焼き討ちに遭うと、本願寺はこの地に移され、本願寺教団の本拠地となります。

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二の丸にある「蓮如上人袈裟がけの松」です。
説明看板によると、蓮如上人がこの地に坊舎を築く際、今は切り株だけになっているここの袈裟をかけ、宗派の繁栄を祈ったといわているそうです。

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ご覧のとおり、現在は切り株というより、ほとんど根塊だけといった感じです。
ただ、切り株は徳川幕府が再築した大坂城の地表にあることから、これはあくまで伝説に過ぎないと考えられているようですね。
それでも、大正時代に撮影された写真では、この地にかなり大きな巨松がそびえ立っていて、蓮如上人袈裟がけの松と紹介されているそうです。
いつ頃から生まれた伝承かはわかりませんが、松の西側には昭和4年(1929年)の昭和天皇行幸に合わせて建てられたという「南無阿弥陀仏」と刻まれた石柱があり、石山本願寺時代の記憶を留める史跡として、保護されています。

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戦国時代末期、石山本願寺は破竹の勢いで勢力を伸ばしていた織田信長と対立し、元亀元年(1570年)から11年間に及ぶ血みどろの戦い、いわゆる石山合戦が繰り広げられます。
その結果、11世顕如は信長によって本願寺から退去させられ、堂塔伽藍は全焼してしまいます。
その後、豊臣秀吉によって跡地に大坂城が築かれ、さらに大坂の陣ののちに徳川大坂城が再建され、この2回の大規模な土木工事によって、石山本願寺時代の遺構はほぼ破壊されました。
したがって石山本願寺跡の正確な位置はいまだ確認されていませんが、現在の大阪城公園内にあったことは確実とされています。

なかなか本丸にたどり着きませんね。

大坂の陣400年記念大坂城攻め その1 ~外堀~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その2 ~大手口、搦手口~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その3 ~西の丸~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その4 ~二の丸・豊国神社~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その6 ~内堀~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その7 ~刻印石、巨石~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その8 ~本丸~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その9 ~天守閣~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その11 ~城中焼亡埋骨墳~

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by sakanoueno-kumo | 2015-07-29 18:03 | 大坂の陣ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

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