大坂の陣400年記念大坂城攻め その6 ~内堀~

今回は、二の丸と本丸を仕切る内堀を見ていきます。
まずは東面から。
内堀の総延長は約2.7kmで、寛永元年(1624年)の徳川幕府による再築第二期工事により、豊臣時代の本丸に盛土をほどこして石垣が築かれたそうです。
東面の石垣の高さは水面から約24mもあるそうです。

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どうです、この立派な石垣
迫力満点です。

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東側内堀の外から見た天守です。

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向こうに見えるのは、内堀北東にある極楽橋です。

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極楽橋と天守です。

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この橋は昭和40年(1965年)に再建されたものですが、天正11年(1583年)に豊臣秀吉が築城を開始したときにこの付近に架けられた橋も極楽橋と呼び、大阪夏の陣による落城後、徳川幕府による再築時にも、この場所に極楽橋が架けられました。
長さは約54m、幅は江戸時代には約8m(4間)あったそうですが、現在は約5.4mに縮小されているそうです。

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手前のミニスカートのお姉さんを狙って撮影したわけでゃないので、誤解なきよう!

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そのまま、内堀北側に進み、ほぼ真北に来ました。

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内堀北西から見た天守と石垣です。
この辺りは、天守がもっともかっこ良く撮影できるスポットとして有名です。

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ズームしました。

内堀西側は、「その3」で紹介した西の丸庭園になっており、現在は二の丸北側から入ることは出来ません。

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内堀東側の二の丸は現在梅林となっていますが、かつてここは市正曲輪と呼ばれ、豊臣秀頼の後見人として重職を担った片桐且元の屋敷があったとされています。
且元は東市正に任じられており、そこから市正曲輪と名付けられたんですね。
且元は秀吉の死後、豊臣、徳川両家のあいだに出来たを、なんとか埋めようと尽力した人ですが、いわゆる「国家安康」で有名な方広寺の鐘の件あたりから、豊臣家内部であらぬ疑いをかけられ、結果、弟の片桐貞隆とともに大坂城を脱出してしまいました。
これが結果的に、大坂冬の陣の引き金となります。

最後に、内堀南側にやって来ました。

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本丸を囲む内堀は、東・北・西は水堀となっているのに対し、南の内堀だけは、見てのとおり空堀になっています。

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現在の石垣は徳川幕府による再築工事で築かれたものですが、当初から空堀だったそうで、さらに、かつての豊臣時代の大坂城でも、南の内堀は空堀だったそうで、大坂の陣で徳川方が埋めたからではないそうです。
なぜ、ここだけ空堀なのかは不明なんだとか。
歴史の謎ですね。

さて、いよいよ本丸突入です。

大坂の陣400年記念大坂城攻め その1 ~外堀~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その2 ~大手口、搦手口~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その3 ~西の丸~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その4 ~二の丸・豊国神社~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その5 ~石山本願寺推定地の碑と蓮如上人袈裟がけの松~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その7 ~刻印石、巨石~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その8 ~本丸~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その9 ~天守閣~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~
大坂の陣400年記念大坂城攻め その11 ~城中焼亡埋骨墳~

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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~


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by sakanoueno-kumo | 2015-07-31 19:20 | 大坂の陣ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

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