大坂の陣400年記念大坂城攻め その7 ~刻印石、巨石~

本丸を攻める前に、大坂城うんちくを少し。
近世の城はどこでも、石垣の表面に築城にたずさわった大名の家紋などが刻まれた刻印石がありますが、ここ大坂城も例外ではなく、多くの刻印石が現存します。

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ざっと石垣を見渡してみても、拡大してみるといろんな刻印石が見つかります。

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これはどこの家紋でしょう?

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城内には、刻印石公園が整備されていて、間近で刻印をみることができます。

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解明されている刻印が表にまとめられています。

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上の写真は土佐藩主・山内忠義の刻印石のようです。

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この二重丸は、肥後熊本藩主・加藤忠広のようです。
また、この時点では改易になっていなかったんですね。

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これは細川越中守とありますから、おそらく明智光秀の娘・ガラシャの夫だった細川忠興のことでしょうね。
このときの忠興は豊前小倉藩主ですが、この石垣工事の数年後には、上記の加藤忠広に変わって肥後熊本藩主になります。

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丸に西と書いてあるように見えますが、誰のものでしょうか?
上手く撮れているものに限って、誰のものかわからない(苦笑)。

あと、大坂城の石にまつわる見どころとして、とてつもない巨石が使用されていることです。
下の写真は大手口枡形にある巨石で、松の木に隠れている正面の大手見付石が、表面積が約29畳敷(47.98㎡)で城内第4位の大きさ、左の大手二番石約23畳敷(37.9㎡)で城内第5位、右の大手三番石約22畳敷(35.82㎡)第8位の大きさだそうです。
いずれも瀬戸内海の小豆島から運んできたと推定されているそうで、ここを担当していたのは、このときはまだ肥後熊本藩主だった加藤忠広だったそうです

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続いて下の写真は京橋口枡形にある肥後石で、表面積が約33畳敷(54.17㎡)で城内第2位の大きさです。
肥後石という名から熊本の石かと思ってしまいそうですが、実際にはこれも小豆島から運ばれてきた石だそうで、担当大名は備前岡山藩主の池田忠雄だったといわれています。

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で、最後の写真は、二の丸と本丸を結ぶ桜門の枡形にある蛸石で、高さ5.5m、幅11.7mで表面積は約36畳敷(59.43㎡)と城内第1位の大きさで、重さは約108トンもあるとか。

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人と比較して見てみると、その大きさがよくわかるでしょうか?

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この採石場は備前岡山の犬島といわれ、担当大名は池田忠雄だったそうですが、いったいどうやって運んだんでしょうね。
運搬は海上輸送だったと考えられているそうですが、その具体的な方法はだそうです。
石垣の建築技術も戦国時代のそれとは比較にならないほどの進歩が見られますが、その運搬技術も目を見張るものがありますね。

さて、うんちくはこれくらいにして、今度こそ本丸に攻め込みます。

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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~


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by sakanoueno-kumo | 2015-08-05 19:44 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(0)  

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